僕らは人の悪や欠点を言うのが大好きです。でも、ダビデはひたすら神様が良くしてくださったことを思い出して歌います。
ダビデは若い頃は当時のサウル王に仕えていました。ところがサウル王からねたまれ、命を狙われ、10年以上の逃亡生活、ほら穴生活を強いられていました。サウル王は国を挙げて自分の命を狙って来ます。こちらは力のない逃亡者です。
ダビデは忍耐し続けました。そして神様はダビデが将来の王になることをハッキリと示しておられました。
ただ、神様に祈り求め、神様が助け続けてくださったことをダビデは歌にしています。
(1-4節)
主が、ダビデのすべての敵の手、特にサウルの手から彼を救い出された日に、ダビデはこの歌のことばを主に歌った。
彼はこう歌った。「主はわが巌、わがとりで、わが救い主、わが身を避けるわが岩なる神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。私を暴虐から救う私の救い主、私の逃げ場。ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる。
僕らの祈りもダビデの祈りも同じく聞かれます。
大事なことは苦しみの中で人に向かうのではなく、神様に向かうことです。
ダビデは命を狙われる苦しみの中でいつも神様に助けを叫び続け、神様はそれに答えてくださいました。
(6-7節)
よみの綱は私を取り囲み、死のわなは私に立ち向かった。
私は苦しみの中に主を呼び求め、わが神に叫んだ。主はその宮で私の声を聞かれ、私の叫びは、御耳に届いた。
神様は祈りに答えてくださいます。
聖書は僕ら人間に「復讐してはならない」と繰り返します。なぜなら正しい復讐は神様だけがなさる領域だからです。
(ローマ12:19)
愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
僕ら人間はただ神様に叫び求めるのみです。神様は正しく怒り、悪に対してさばいてくださいます。そして神様はダビデを救い出してくださいました。
(8節)
すると、地はゆるぎ、動いた。また、天の基も震え、揺れた。主がお怒りになったのだ。
(18-19節)
主は、私の強い敵と、私を憎む者とから私を救い出された。彼らは私より強かったから。
彼らは私のわざわいの日に私に立ち向かった。だが、主は私のささえであった。
復讐せず、ただ神様に祈り求め、悪に対して悪で返さず、善で返す人を神様は喜んでくださいます。
ダビデは神様を信頼して、ずっとサウル王に良いことだけをし続けました。
(20-25節)
主は、私を広い所に連れ出し、私を助け出された。主が私を喜びとされたから。主は、私の義にしたがって私に報い、私の手のきよさに従って私に償いをされた。私は主の道を守り、私の神に対して悪を行なわなかった。(…中略…)私は主の前に全く、私の罪から身を守る。主は、私の義にしたがって、また、御目の前の私のきよさにしたがって私に償いをされた。
僕らはすぐに仕返しを考えます。でも、聖書は繰り返し、神様に求めよ、悪に対して悪ではなく善で返し罪を犯さないようにと繰り返します。
(ローマ12:20-21)
もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。
苦しみや不安の中であれこれと作戦を練る前に、僕らがただ神様に叫び求めますように。
そして、神様が良くしてくださったことを思い出して感謝しますように。
神様は今日も僕らの祈りに答えてくださいます。神様は悪に勝利しています!
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