ダビデは人生の最後に全てが神様のおかげだったことを書き残しています。
そして、僕らの人生も全てが神様のおかげです。
ダビデは何も持たない貧しい羊飼いでした。そんな彼を選んでくれて、力を与えてくださり、王様としてくださったのは全部神様の恵みです。彼は自分のことを「いと高き方(神様)によって上げられた者」と言います。そして、神様に油注がれた(任命された)者です。
ダビデは神様を讃える歌を書き残しています。
(1節)
これはダビデの最後のことばである。エッサイの子ダビデの告げたことば。高くあげられた者、ヤコブの神に油そそがれた(任命された)者の告げたことば。イスラエルの麗しい歌。
神様がダビデを選んでくださったように、神様は僕らも選んでくださり、それぞれに役目を与え任命してくださいました。僕らが何かしたとしてもそれは神様からの恵みです。
ダビデは失敗もしました。それでも神様は彼に聖霊(神様の霊)を与えてくださり、罪人を憐れんでくださり神様のことばをたくさん語りました。ダビデに与えられたことばは神様からの恵みです。
(2節)
「主の霊は、私を通して語り、そのことばは、私の舌の上にある。
ダビデはいつも神様のことばを求め、ダビデを通して神様は人々に教え、預言しました。
そのようにしてダビデは王様として国を治めました。人生の最後に言えることは「神様を信頼し、神様を第一として国を治めること」が何よりだったと言うことです。神様を第一にすることは、自分も他人も国も生かすことに繋がります。
(3-4節)
イスラエルの神は仰せられた。イスラエルの岩は私に語られた。『義をもって人を治める者、神を恐れて治める者は、
太陽の上る朝の光、雲一つない朝の光のようだ。雨の後に、地の若草を照らすようだ。』
「義」とは神様との正しい良い関係です。「神を恐れる」とは神様を第一にすることです。
神様を第一に求めることこそが雲ひとつない光のようだし、それは若草が水を得、光を浴びて育つようだと言います。神様との関係が自分も他人も、そして任せられた国も育てます。
そもそも、ダビデが選ばれ神様に愛され、永遠に祝福される契約が与えられたことも全部が神様からのプレゼントだったと言います。そして力も何もないダビデを神様が今まで育て守ってくださいました。
(5節)
まことにわが家は、このように神とともにある。とこしえの契約が私に立てられているからだ。このすべては備えられ、また守られる。まことに神は、私の救いと願いとを、すべて、育て上げてくださる。
人生の最後にダビデは全てが神様のおかげだったと書き残しています。
僕らの人生もまた全てが神様のおかげです。神様なんて知るつもりもなかった僕らが信じるようにされました。ただ神様の恵みです。全てが神様からのものです。僕らの心の内側も変えられ育てられていきます。
神様との関係を今日も第一にしましょう。それが全てを生かし、育てます。
ハレルヤ!
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