2023年1月18日水曜日

レビ24.10-23

 神様は人を作り愛しておられます。人は神様のものですところが、僕らはそれを忘れて神の作品である隣人と争い、相手を傷つけます。相手を傷つけ相手を呪うことは神の宝、神の作品を傷つけ呪うことです僕らが誰かと憎み合い争い合うことは、神と敵対し神を呪うことにつながります。神様を悪く言ったり挑戦したりすることは自爆行為です人をののしることは神様をののしることにつながります。


(10-16節)

さて、イスラエル人を母とし、エジプト人を父とする者がイスラエルの子らのうちに出たが、このイスラエルの女の息子と、あるイスラエル人とが宿営の中で争った。そのとき、イスラエルの女の息子が御名を汚し、ののしったので、人々はこの者をモーセのところに連れて行った。彼の母の名はシェロミテで、ダン部族のディブリの娘であった。人々は主の命が彼らにはっきりと示されるまで、この者を留置しておいた。

主はモーセにこう告げられた。「あの、ののしった者を宿営の外に連れ出し、それを聞いたすべての人がその人の頭に手を置き、全会衆が彼に石を投げて殺すようにしなさい。あなたはイスラエルの子らに告げよ。自分の神をののしる者はだれでも罪責を負う。

主の御名を汚す者は必ず殺されなければならない。全会衆は必ずその人に石を投げて殺さなければならない。寄留者でも、この国に生まれた者でも、御名を汚すなら殺される。


神様は人も動物も大切にしています。人を殺したり傷つけることは、神様のものを殺したり傷つけることです。そのような人に対して、神様は裁きをすると言われます。今日の箇所はその正しい裁きが書かれています。


(17-22節)

人間を打ち殺す者は必ず殺されなければならない。

動物を打ち殺す者は、いのちにはいのちをもって償わなければならない。

人がその同胞に傷を負わせるなら、その人は自分がしたのと同じようにされなければならない。

骨折には骨折を、目には目を、歯には歯を。人に傷を負わせたのと同じように、自分もそうされなければならない。

家畜を打ち殺す者は償いをしなければならず、人間を打ち殺す者は殺されなければならない。

このさばきは、寄留者であれ、この国に生まれた者であれ、あなたがたには同一である。わたしがあなたがたの神、主だからである。」


傷つけたり殺したりした人は神様から賠償を要求され、目や歯や生命を要求されます。この律法は、ただ単にやり返してもいいという権利が書かれているのではなくて、「神様がその賠償を正しく要求する」ということです裁きは神様のものであって、人間が勝手に決めることはできません。


神様は僕ら人間に罪の責任を要求されます。神様のものである人の命を勝手に終わらせることは、神様への反抗です聖なる神様をののしる人は神様から裁かれるのと同じように、他人を殺す人は神様の裁きを受けます。逆に、神様を愛することは神様のものである人と自然を愛することです律法を要約すると「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」です。(ガラテヤ5.14)「目を傷つけられれば、目を傷つけ返してもいい」という復讐を教えているのではありません。復讐ではなく、和解と赦しのための教えですイエス様はこの箇所を解説して下さいました。


(マタイ5.38-42)

『目には目で、歯には歯で。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。求める者には与え、借りようとする者は断わらないようにしなさい。


イエス様こそ律法を全部実現する方ですイエス様は律法が教える裁きを受けてくださった方です律法は仕返しを教えているのではなく、神様を愛すること、そして互いに愛することを教え、傷つけ合い憎しみ合うことがないための教えですそれでも僕ら罪人は神様に反抗し互いに傷つけあいます。そして敵に仕返ししようと思います。イエス様はそんな僕らをなお、それでも憐れんでくださって、自分が殴られ、自分が殺されていく側になってくださいました。まさに、右の頬を打たれたら左を出し、下着を取られたら上着も与える方です悪に対して善を与えるのがイエス様です


イエス様こそ律法を正しく教え、律法を実現させてくださる方です。僕らは神様の怒りと裁きを受け、殺されてもおかしくない人間です。…にも関わらずイエス様は罪人のためにご自分をささげ、ご自分がその裁きを身代わりに受けて僕らを赦してくださる神様です。

僕らがすることは、この方に感謝するだけです感謝すると神様を愛し、人を愛するようになります。神様は人を作り愛しておられます。今日も僕らは愛されている作品です今日も僕らの隣人は愛されている作品です今日も僕らが神様のものとして隣人を大切にしますように!

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