収穫をもたらす土地も天候も雨も全てが神様が与えてくださるものです。神様はイスラエル人たちに、人間だけでなく土地も7年に一度休むようにと命令されました。土地も神様のもので「わたしが与える地」です。だから与えられた土地は人間が勝手に酷使して良いのではありません。7年目は完全に土地を休ませるようにと神様が命令されました。
(1-7節)
主はシナイ山でモーセにこう告げられた。
「イスラエルの子らに告げよ。わたしが与えようとしている地にあなたがたが入ったとき、その地は主の安息を守らなければならない。
六年間はあなたの畑に種を蒔き、六年間ぶどう畑の刈り込みをして収穫をする。
七年目は地の全き休みのための安息、主の安息となる。あなたの畑に種を蒔いたり、ぶどう畑の刈り込みをしたりしてはならない。
あなたの落ち穂から生えたものを刈り入れてはならない。あなたが手入れをしなかったぶどうの木のぶどうも集めてはならない。これは地のための全き休みの年である。
地の安息はあなたがたに食物をもたらす。すなわち、あなたと、あなたの男奴隷と女奴隷、あなたの雇い人と、あなたのところに在住している居留者のため、また、あなたの家畜と、あなたの地にいる獣のために、その地の収穫はすべて食物となる。
土地は連作すると痩せて収穫しなくなるそうです。今も農業では毎年作物を変えて連作を避け土地が痩せるのを防ぐのが常識だそうです。神様はイスラエルに7年目は全ての耕作を完全に休むように言われました。しかも「地の安息はあなたがたに食物をもたらす。」と言われます。(6節)土地を休ませることがさらに豊かな収穫をもたらすことが約束されています。
ところが、僕ら人間は「完全に耕作をやめるなんて、じゃあ7年目の食べ物はどうするの?」と心配します。そんな僕らに神様は食べ物を保証されます。この命令に従う人は「安らかに住むことができる」とさえ言われます。神様に従う人は安心します。従わない人が心配します。
(18-22節)
あなたがたはわたしの掟を行い、わたしの定めを守らなければならない。それを行うなら、その地に安らかに住むことができる。
地は実りをもたらし、あなたがたは満ち足りるまで食べ、安らかにそこに住むことができる。
あなたがたは、『もし私たちが種を蒔かず、また収穫もしないなら、七年目には何を食べればよいのか』と言うであろうが、
わたしは六年目に、あなたがたのためにわたしの祝福を命じ、三年分の収穫を生じさせる。
あなたがたが八年目に種を蒔くときにも、前の収穫をなお食べている。九年目まで、その収穫があるまで、なお前のものを食べることができる。
問題は僕らが不安か、安心か、です。神様が与えてくださる安心感がある人は収入が多くても少なくても問題ありません。安心しているからです。不安な人はいくら収入があっても「もう少し足りない」と思うようです。そんな僕らに聖書は言います。
(ヘブル 13:5)
金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
神様は「決してあなたを離れない」とおっしゃいます。神様にの命令に従う人は「安らかに住むことができる」です。(18節)神様は人間にも一週間に一日は「安息日を守りなさい」とおっしゃいます。
僕ら人間は不安だからひっきりなしに働きたがります。けれども、収入も平安も与えてくださるのは神様です。聖書は「心配してはならない」「恐れてはならない」という言葉で満ちています。自分で頑張って作り上げた安心感はすぐに吹き飛んでしまいます。でも、神様がくださる「安らかに住むことができる」という保証は確かです。神様のことばに従う人には神様から与えられる平安があります。
あれこれと心配するのはやめ、手を止めて神様のことばを信頼しましょう。「あなたがたはわたしの掟を行い、わたしの定めを守らなければならない。それを行うなら、その地に安らかに住むことができる。」(18節)この言葉は本当です!
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