僕らは土地を売ったり買ったりしますが、神様は「土地はわたしのものである」(23節)とおっしゃいます。神様はイスラエルに、どんなに土地を売ったり買ったりしても50年に一度は元の持ち主に戻るようにと教えられました。これが「ヨベルの年」です。売買するのは一時的です。全部は神様のものです。人が土地を売ったり買ったりしても、50年目には最初の場所に戻るように、という教えです。
(10節)
あなたがたは五十年目を聖別し、国中のすべての住民に解放を宣言する。これはあなたがたのヨベルの年である。あなたがたはそれぞれ自分の所有地に帰り、それぞれ自分の家族のもとに帰る。
(13節)
このヨベルの年には、あなたがたはそれぞれ自分の所有地に帰る。
土地の売買はしてもいいけども、基本的には神様のものです。いつでも買い戻す権利があるし、貧しくなって土地を手放してしまったなら、近い親戚が買い戻すようにと教えています。そうでなくても50年目には売買は無効になり、最初の所有者に戻ります。
(23-28節)
土地は、買い戻しの権利を放棄して売ってはならない。土地はわたしのものである。あなたがたは、わたしのもとに在住している寄留者だからである。
あなたがたの所有するどの土地においても、土地を買い戻す権利を認めなければならない。
もしあなたの兄弟が落ちぶれて、その所有地を売ったときは、買い戻しの権利のある近親者が来て、兄弟の売ったものを買い戻さなければならない。
その人に買い戻しの権利のある親類がいないときは、彼の暮らし向きが良くなり、それを買い戻す余裕ができたなら、
売ってからの年数を計算し、なお残る分を買い主に返し、自分の所有地に帰ることができる。
もしその人に返す余裕がないなら、その売ったものはヨベルの年まで買い主の手にとどまる。しかし、ヨベルの年にはその手を離れ、彼は自分の所有地に帰ることができる。
また、人間も神様のものです。人は人を雇って働かせますが、神様は「わたしのしもべである」(55節)とおっしゃいます。もし落ちぶれて暮らせなくなっても仲間を助けて生活できるようにしなさいと教えています。神様のしもべだからです。
(35-38節)
もしあなたの同胞が落ちぶれて、あなたのもとで暮らしが立たなくなったなら、彼をあなたのところに在住している寄留者のように扶養し、あなたのもとで生活できるようにしなさい。
彼から利息も利益も得てはならない。あなたの神を恐れよ。同胞があなたのもとで生活できるようにしなさい。
彼に金を貸して利息を取ってはならない。また食物を与えて利益を得てはならない。
わたしはあなたがたの神、主である。わたしは、あなたがたにカナンの地を与えてあなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出したのである。
僕らの世界は豊かな人が貧しい人から搾取し、貧しい人はずっと貧しいまま働かされるという世界です。でも、イスラエルでは神様はそれに歯止めをかけておられます。豊かな人だけが土地を所有することがないようにされています。また人がどんなに貧しくなって身売りした人であっても大切にされるように教えられています。
(39-43節)
もし、あなたのもとにいるあなたの兄弟が落ちぶれて、あなたに身売りしても、彼を奴隷として仕えさせてはならない。
彼はあなたのもとでは雇い人か居留者のようでなければならず、ヨベルの年まであなたのもとで仕える。
こうして彼とその子らはあなたのもとから出て行き、自分の一族のもと、自分の先祖の所有地に帰る。
彼らは、わたしがエジプトの地から導き出した、わたしのしもべである。奴隷の身分として売られてはならない。
あなたは彼を酷使してはならない。あなたの神を恐れよ。
貧しくなって奴隷として身売りした場合でも、近い親戚が買い戻すようにと定められています。もし、戻されずに奴隷のままだったとしても50年目のヨベルの年には解放されて元の身分に戻れます。
(47-55節)
あなたの兄弟が落ちぶれて、あなたのところに在住している寄留者に、あるいはその寄留者の氏族の子孫に身を売ったときは、身を売った後でも、その人には買い戻される権利がある。彼の兄弟の一人が彼を買い戻すことができる。または、その人のおじや、おじの息子が買い戻すこともできる。または、一族の近親者の一人が買い戻すこともできる。あるいは、もし暮らし向きが良くなれば、自分で自分自身を買い戻すこともできる。買い主とともに、自分が身を売った年からヨベルの年までを計算する。身代金は、その年数に応じて、雇い人の場合の期間にしたがって決める。(…中略…)たとえ、これらの方法によって買い戻されなかった場合でも、ヨベルの年には、その子らと一緒に出て行くことができる。イスラエルの子らは、このわたしのしもべだからである。彼らは、わたしがエジプトの地から導き出した、わたしのしもべである。わたしはあなたがたの神、主である。
土地も人も神様のものです。僕らも罪の奴隷にされて苦しんでいましたが、イエス様によって買い戻されました。僕らはイエス様のものであって自分のものでも他人のものでもありません。
(Ⅰコリント6:19-20)
あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。
イエス様のしもべになった僕らは自由のしもべです。不思議なのですが、神様のしもべは自由です。そこには喜びと感謝と自由があります。
イエス様を知らなかった時には欲しがり、貪り、罪に縛られて不自由でした。でも、イエス様の元に戻った時、僕らは「あるべき場所に戻った」という安心感があります。ヨベルの年は、恵みの年です。解放の年、喜びの年です。そしてイエス様に帰ることこそがヨベルの年だと
イエス様はおっしゃいました。
(ルカ 4:18-21)
「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年(ヨベルの年)を告げ知らせるために。」(…中略…)「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」
僕らはイエス様のものです。僕らの持ち物も能力も全部イエス様のものです。あるべき所に帰りました。ホッとします。
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