2023年1月12日木曜日

ルカ3.1-18

 混乱と不安の中ですけど、今日も聖書は僕らに福音(良い知らせ)を伝えています。暗闇が増えるほどに光は輝きます。それは希望と喜びと勝利の知らせです

「このようにヨハネは、ほかにも多くのことを勧めながら、人々に福音を伝えた。」(18)とあります。

しかも、これは人間が作った教えとか、勝手な想像でなく、はっきり「神様のことば」だと書かれています。


2

アンナスとカヤパが大祭司であったころ、神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ。


ヨハネはイエスさまが地上で宣教を始める直前に用いられた最後の預言者です。(12使徒のヨハネとは別人です

彼は「俺、やります」と預言者になったのではなく、「神のことば」が臨み、預言者として召されました。しかも、彼が荒野で叫んで福音を伝えることはその約700年前から預言されていた通りでした。聖書は単なる昔の本ではなく、実現する本、今も生きている神様の本です


(4-6節)

これは、預言者イザヤのことばの書に書いてあるとおりである。「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ。

すべての谷は埋められ、すべての山や丘は低くなる。曲がったところはまっすぐになり、険しい道は平らになる。

こうして、すべての者が神の救いを見る。』」


●イエス様をお迎えするのに大切なことは、罪をやめること


ヨハネが伝えていたことは、「主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ。」ということです。これは、王様をお迎えするように、イエス様をお迎えしなさい、ということです。道を整え、障害物を取り除けてお迎えしますが、邪魔なもの、超えられない山や谷とはそ「罪」のことですヨハネは人間と神様の壁になる「罪」が赦され取り除かれるための悔い改めを教えていました。


3

ヨハネはヨルダン川周辺のすべての地域に行って、罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。


イエス様をお迎えせよ、と叫んでいますが、邪魔な障害物は僕らの罪です。超えられない山のように、渡れない谷のように、神様と人間を阻むのが罪です。どうすれば、その邪魔な罪を取り除いてイエス様をお迎えできるのか、それは、3節にある、「罪の赦しに導く悔い改め」です。悔い改め、というのは自分に罪があることを認めて、「ごめんなさい」と謝って「やめます、手放します」決めて「実行する」ことですそれが神様と自分の道を整え、まっすぐにし、超えられなかった谷が埋められ、山が低くなる、ということです


僕らはイエス様のことがわからない、遠い、と感じることがあります。不安や不満に囲まれていたり、怒りやさばきや赦さない心に取り憑かれていることがあります。すると、イエス様がすごく遠く感じます。まさに、自分と神様との間に谷があり、山があり、曲がりくねった遠い道のようです。今日、神様は僕らにも、罪の赦しに導く悔い改めを教えてくれています。それは、福音です。良い知らせです。希望と平安の知らせです


●罪とは神と人を愛する行動をしないこと


じゃあ、実際どのようにすればいいのか、ヨハネは叫んで言っています。ここは叫んで読む箇所です


(7-8)

ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。「まむしの子孫たち。だれが、迫り来る怒りを逃れるようにと教えたのか。それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。


彼は「悔い改めにふさわしい実を結べ」と叫んでます。口だけで「ごめんなさい」とか、「洗礼を受けたたからオッケー」とか、「自分はユダヤ人だから大丈夫」とかでなく、罪をやめて、愛を表す行動に移せ、という叫びです


(8-9)

それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの父はアブラハムだ』という考えを起こしてはいけません。言っておきますが、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです

斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木はすべて切り倒されて、火に投げ込まれます。


儀式だけとか、血筋とか、口だけなら、神様の怒りは逃れられないし、もうさばきと怒りが下る準備はできているから、早く悔い改めて、罪をやめなさい、行動に移しなさい、という叫びです


(9)

斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木はすべて切り倒されて、火に投げ込まれます。


ヨハネがあまりの迫力で叫ぶので、聞いた人たちはかなり恐れたようです。本気で実行したい、悔い改めて罪をやめたい、と思って聞きました。


(10-11)

,群衆はヨハネに尋ねた。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょうか。」

1ヨハネは答えた。「下着を二枚持っている人は、持っていない人に分けてあげなさい。食べ物を持っている人も同じようにしなさい。」


神様と近くなるためには、罪をやめて、愛を実行することです困っている人がいるのに、関係ないな、と思うこと、自分さえよければいい、と思うことは罪です。反対に、悔い改めて赦される福音とは、自分に愛がないことを認めて、謝ったら行動することです。受けるのではなく与えるのが愛です愛とはほんわか自分がいい気持ちになることではないです相手のために自分を失うことです十字架のイエス様が愛の模範です犠牲を負って与えるのが愛です。愛さないのは罪です


(12-14)

取税人たちもバプテスマを受けにやって来て、ヨハネに言った。「先生、私たちはどうすればよいのでしょうか。」

ヨハネは彼らに言った。「決められた以上には、何も取り立ててはいけません。」

兵士たちもヨハネに尋ねた。「この私たちはどうすればよいのでしょうか。」ヨハネは言った。「だれからも、金を力ずくで奪ったり脅し取ったりしてはいけません。自分の給料で満足しなさい。」


●悔い改めない人へのさばき


イエス様は2000年前にこられました。そしてもう一度、最終的なさばきをするために来られます。この世の終わりの前には世界は飢饉や戦争や地震などあらゆる災いが増えると言います。イエス様は悔い改めない人をさばき、火で焼き尽くす最終段階に入っている、とヨハネは言います。


(9)

斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木はすべて切り倒されて、火に投げ込まれます。


特に地震や異常気象、人類が体験したことのない病気や苦しみ、そして偽教師が増える時代について、イエス様もおっしゃいました。


(マルコ13:29)

そのように、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。


僕らの人生はいつか終わります。そしてこの世もいつか滅びます。聖書はそう言っています。残るものは、信仰と希望と愛だけですそして、一番優れているのは愛です神様と人を愛さないことが罪です。そして、悔い改めないなら、捨てられ焼かれてしまいます。


(16-17)

そこでヨハネは皆に向かって言った。「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりも力のある方が来られます。私はその方の履き物のひもを解く資格もありません。その方は聖霊と火で、あなたがたにバプテスマを授けられます。

また手に箕を持って、ご自分の脱穀場を隅々まで掃ききよめ、麦を集めて倉に納められます。そして、殻を消えない火で焼き尽くされます。」


箕というのは、麦と余計なカラを分別する道具ですイエス様が悔い改めて罪をやめるつもりのない人、神と人を愛するつもりのない人を分けて、さばき、燃やします。ヨハネは叫んでいます。お迎えしなさい、準備をしなさい、その日は近い、裁きの日は近い、と叫んでいます。

「ごめんなさい」だけではなく、悔い改めとは、聖霊によって愛することをスタートすることですバプテスマを受けることは、聖霊を受けることです。「その方は聖霊と火で、あなたがたにバプテスマを授けられます。」イエス様を信じた人は、聖霊が与えられています。僕らはすでにイエス様の聖霊が与えられ、この体も心も口も手足もイエス様の体の一部となってます。それを使って罪をやめないなら、捨てられてしまいます。


●まとめ

地上の人生は神と人を愛するために与えられています。人生が終わる時、この世が終わる時、後悔があるとすれば、もっと愛すればよかった、もっと交わればよかった、もっと早くゆるせばよかった、ということです


愛とは、イエス様の犠牲です愛はあの十字架の上でボロボロになっておられるイエス様の姿に現れています。愛とはほんわか自分がいい気持ちになることではないです相手のために自分を失うことです相手のために自分の立場も正しさも、そして命も失うことです全てを捨ててくださったイエス様がお手本です。あの惨めで、全てを捨てて愛してくださった血だらけのイエス様の前で、僕らは批判し合っている場合ではないです。誰が悪いか正しいか、政治が悪いか正しいか、というのは時間の無駄ですヨハネに怒鳴られます。


(7-8)

「まむしの子孫たち。だれが、迫り来る怒りを逃れるようにと教えたのか。

それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。


人生の残り時間、使うのは神様と人を愛するためです足を引っ張り合うための時間ではないです。赦し合い、与え合うための時間です

ヨハネは叫んでいます。悔い改めの実を結びなさい、と。

僕らは聖霊が与えられています。裁きに怯えるのではなく、神様の言葉に従う喜びと平安と愛の御霊を与えられています。僕らにはできなくても、聖霊が導いてくださいます。僕らは無理でも、導いてくださる聖霊様は信頼できます。

この世は終わりますが、それまで、多くの人を愛し、この希望の福音を一人でも多くの人が知りますように。用いられますように。


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