2023年1月12日木曜日

ルカ3.3-17

 ルカ3.3-17 メッセージ 「悔い改めと行い」


●イントロ


今日の箇所も僕らに福音を伝えています。福音とは良い知らせ、希望と喜びと勝利の知らせです

18,このようにヨハネは、ほかにも多くのことを勧めながら、人々に福音を伝えた。」とあります。

混乱と不安の中ですけど、今日も聖書を通して、希望と喜びと勝利の福音が伝わりますように。


さて、この福音は神様からのことばです。人間が作った教えとか、勝手な想像ではありません。

今日読んだ箇所もはっきりと、「神様のことば」だと書かれています。


2

アンナスとカヤパが大祭司であったころ、神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ。


ヨハネという人が聖書に何人か出てきますが、このヨハネは、イエスさまの12使徒ではなく、イエスさまが地上で宣教を始める直前に用いられた最後の預言者です。で、彼は勝手に「俺、やります」と預言者になったのではなく、神様から言葉が与えられたから預言者です。しかも、このヨハネがこの時代イエス様の直前に現れて、福音を預言することはその700年前の預言者イザヤによってすでに言われていました。神様が言われた通りになりました。聖書は単なる昔の本ではなく、今も実現する生きている本です


(4-6節)

4,これは、預言者イザヤのことばの書に書いてあるとおりである。「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ。

5,すべての谷は埋められ、すべての山や丘は低くなる。曲がったところはまっすぐになり、険しい道は平らになる。

6,こうして、すべての者が神の救いを見る。』」


●イエス様をお迎えするのに大切なことは、罪をやめること


ここで解説が必要なんだけど、ヨハネが伝えていたことは、4節の通り、『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ。」ということです。これは、王様をお迎えするように、道を整え、障害物を取り除けて、しっかり遠回りしないでこちらにお迎えできるようにしなさい、という意味です


※北一条東10丁目に大きなロイトンというホテルがある。僕はそのロイトンの真っ正面にあるビルに7年くらいいました。そのロイトンホテルに年に何回か大臣クラスの人が宿泊したり、大臣クラスの会議があることがありました。毎日そのホテルの前に僕も通っていたので、「今日は警察官が多いな」と感じる日があります。その日は全ての交差点に警察官がいます。そして大臣の車がくると、全部の信号が青になってすんなりホテルに入ります。大臣の車は赤信号で止まることがないみたいです障害物が時間のロスが、邪魔がないようにします。大臣はすんなりホテルに入れて、楽だと思います。


同じように、全ての邪魔を取り除けて、イエス様をお迎えしなさい、とヨハネは叫んでいます。


(4-6)

4,これは、預言者イザヤのことばの書に書いてあるとおりである。「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ。

5,すべての谷は埋められ、すべての山や丘は低くなる。曲がったところはまっすぐになり、険しい道は平らになる。

6,こうして、すべての者が神の救いを見る。』」


イエス様をお迎えするには、どのような邪魔なものがあるか、それは罪です。3節です


3

ヨハネはヨルダン川周辺のすべての地域に行って、罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。


イエス様をお迎えせよ、と叫んでいますが、邪魔な障害物は僕らの罪です。超えられない山のように、渡れない谷のように、神様と人間を阻むのが罪です5節はその邪魔な谷は埋められ、山や丘は低くなる。神様に遠かった曲がった道は、まっすぐになってすぐに迎えることができます。

どうすれば、その邪魔な罪を取り除いて、イエス様をお迎えできるのか、それは、3節にある、罪の赦しに導く悔い改めです

悔い改め、というのは後悔ではありません。罪の赦しに導かれる福音、良い知らせです


イザヤ40.3の引用がルカの福音書に書かれています。主の道を整えよ、お迎えせよ、というメッセージですが、その直前イザヤ40.2で、すでに赦されている、とも書かれています。


(イザヤ40.2)

エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その苦役は終わり、その咎は償われている、と。そのすべての罪に代えて、二倍のものを主の手から受けている、と。」


神様の側では、もうすでに罪の赦しは用意されているし、罪のさばきでなく、2倍のもの、2倍の祝福を与えようとしておられる、というメッセージですあとは、あなたの側で邪魔になっている自分の罪を認めて、それを神様に謝って、そして手放しなさい、と言います。それが神様と自分の道を整え、まっすぐにし、超えられなかった谷が埋められ、山が低くなる、ということです


イエス様のことがわからない、遠い、と感じることがあると思います。不安や不満に囲まれていて、あるいは怒りやさばきや赦さない心に取り憑かれていて、イエス様がすごく遠く感じることは、クリスチャンになってもあります。もし、神様が遠い、赦しと平和を感じない、勝利や希望と言われてもそんな場合ではない、と感じている方、まさに、自分と神様との間に谷があり、山があり、曲がっていて、遠く感じる人がいるかもしれません。今日、神様は僕らにも、罪の赦しに導く悔い改めを教えてくれています。それは、福音です。良い知らせです。希望と平安の知らせです


●罪とは神と人を愛する行動をしないこと


じゃあ、実際どうすればイエス様との間の谷や山が取り除かれるのか、ヨハネは叫んで言っています。


(7-8)

7,ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。「まむしの子孫たち。だれが、迫り来る怒りを逃れるようにと教えたのか。

8,それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。


ここは叫んで読む箇所。怒鳴られていると思ってください。マムシの子孫たち、とは悪魔の子孫たち、という意味です

悔い改めにふさわしい実を結べ、と叫ぶ。具体的には、口だけで御免なさい、とか、洗礼を受けたらオッケーだとか、そういうことでなく、罪をやめて、愛を表す行動に移せ、ということです


(8-9)

8,それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの父はアブラハムだ』という考えを起こしてはいけません。言っておきますが、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです

9,斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木はすべて切り倒されて、火に投げ込まれます。


アブラハム、というのはユダヤ人の先祖です。そして、神様はアブラハムの子孫たちを祝福する、と聖書に書いてあります。だから、自分はユダヤ人だから大丈夫だ、とか、洗礼を受けたら大丈夫だとか、そういう考えを起こすな、と叫ぶ。儀式だけとか、血筋とか、口だけなら、神様の怒りは逃れられない、もうすぐさばきと怒りが下る準備は終わってる。だから、早く悔い改めて、罪をやめなさい、行動に移しなさい、という叫びです


(9)

9,斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木はすべて切り倒されて、火に投げ込まれます。


ヨハネのメッセージを聞いた人たちは実行したい、悔い改めて罪をやめたい、と思いました。

彼らは聞きました。


(10-11)

10,群衆はヨハネに尋ねた。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょうか。」

11,ヨハネは答えた。「下着を二枚持っている人は、持っていない人に分けてあげなさい。食べ物を持っている人も同じようにしなさい。」


神様と近くなるためには、罪をやめて、愛を実行することです罪とは神様と人を愛さないことです

困っている人がいるのに、関係ないな、と思うこと、自分さえよければいい、と思うことです。人を踏みにじって、自分のことしか考えないことです

反対に、悔い改めて赦される福音とは、自分に愛がないことを認めて、謝ることです謝ったら次に行動することです。悔い改めとは方向転換です方向転換は行動に移すことです


(12-14)

12,取税人たちもバプテスマを受けにやって来て、ヨハネに言った。「先生、私たちはどうすればよいのでしょうか。

13,ヨハネは彼らに言った。「決められた以上には、何も取り立ててはいけません。」

14,兵士たちもヨハネに尋ねた。「この私たちはどうすればよいのでしょうか。」ヨハネは言った。「だれからも、金を力ずくで奪ったり脅し取ったりしてはいけません。自分の給料で満足しなさい。」


●悔い改めない人へのさばき


イエス様は2000年前にこられました。そしてもう一度、最終的なさばきをするために来られます。この世の終わりの前には世界は飢饉や戦争や地震などあらゆる災いが増えると言います。だから、それらが起こり始めたら悔い改めて、罪をやめて、愛することをスタートしなさい、と叫んでいます。そうでなければ、悔い改めない人をさばき、火で焼き尽くすからです。もう最終段階に入っている、とヨハネは言います。


(9)

9,斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木はすべて切り倒されて、火に投げ込まれます。


特に地震や異常気象、人類が体験したことのない病気や苦しみ、そして偽教師が増える時代について、イエス様もおっしゃいました。


(マルコ 13:29)

そのように、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。



(16-17)

16,そこでヨハネは皆に向かって言った。「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりも力のある方が来られます。私はその方の履き物のひもを解く資格もありません。その方は聖霊と火で、あなたがたにバプテスマを授けられます。

17,また手に箕を持って、ご自分の脱穀場を隅々まで掃ききよめ、麦を集めて倉に納められます。そして、殻を消えない火で焼き尽くされます。」


僕らの人生はいつか終わります。そしてこの世もいつか滅びます。聖書ははっきりとそう言っています。

その時に残るものは、信仰と希望と愛だけです。そして、一番優れているのは愛です。神様と人を愛さないことが罪ですそして、悔い改めないなら、捨てられ焼かれてしまいます。


(17)

17,また手に箕を持って、ご自分の脱穀場を隅々まで掃ききよめ、麦を集めて倉に納められます。そして、殻を消えない火で焼き尽くされます。」


箕というのは、麦と余計なカラを分別する道具だそうです。(写真)イエス様が悔い改めて罪をやめるつもりのない人、神と人を愛するつもりのない人を分けて、さばき、燃やします。ヨハネは叫んでいます。お迎えしなさい、準備をしなさい、その日は近い、裁きの日は近い、と叫んでいます。


罪を認めて、自分はこんなことをしました、あんなことをしました、御免なさい、だけではない。悔い改めとは、聖霊にしたがって愛することをスタートすることですバプテスマを受けることは、聖霊を受けることです。「その方は聖霊と火で、あなたがたにバプテスマを授けられます。」イエス様を信じた人は、聖霊が与えられています。バプテスマとは、浸されるとか、一つになる、という意味です僕らはすでにイエス様の聖霊が与えられ、この体も心も口も手足もイエス様の体の一部となってます。それを使って罪をやめないなら、捨てられてしまいます。僕らの体はイエス様のものです。だから、悔い改めて、イエス様と一緒に聖霊様と一緒に神様を愛し、人を愛する決断と行動をする。これが、福音です


●まとめ

地上の人生は神と人を愛するために与えられています。

人生終わる時、この世が終わる時、後悔があるとすれば、もっと愛すればよかった、もっと交わればよかった、もっと早くゆるせばよかった、喧嘩し、自分が正しい、相手が悪いと責めている場合じゃなかった、どっちが上か正しいか考えている場合じゃなかった、ということです


そんな後悔する人いるの?います。僕がそうでした。弟が死んだ時、後悔しました。どうして、高校の時からずっと口もきかなかったのか、どうして何年も冷たい関係のままでいたか。


愛とは、イエス様の犠牲です愛はあの十字架の上でボロボロになっておられるイエス様の姿に現れています。愛とはほんわか自分がいい気持ちになることではないです相手のために自分を失うことです相手のために自分の立場も正しさも、そして命も失うことです全てを捨ててくださったイエス様がお手本です。あの惨めて、全てを捨てて愛してくださった血だらけのイエス様の前で、僕らは批判し合っている場合ではないですあいつが悪いこっちが悪い、政治が悪いというのは時間の無駄、いや、ヨハネに怒鳴られます。


7「まむしの子孫たち。だれが、迫り来る怒りを逃れるようにと教えたのか。

8,それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。


人生の残り時間、使うのは神様と人を愛するためです足を引っ張り合うための時間ではないです。赦し合い、与え合うための時間です

ヨハネは叫んでいます。悔い改めの実を結びなさい、と。

僕らは聖霊が与えられています。裁きに怯えるのではなく、神様の言葉に従う喜びと平安と愛の御霊を与えられています。僕らにはできなくても、聖霊が導いてくださいます。僕らは無理でも、導いてくださる聖霊様は信頼できます。

この世は終わりますが、それまで、多くの人を愛し、この希望の福音を一人でも多くの人が知りますように。用いられますように。

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