悪魔が僕らに考えさせようとするのは地上のことだけです。お金が足りるかどうか、幸せになるかどうか、見た目はどうか、やりたいことができるかどうか、守られるかどうかなど、いつか消えてしまう短い人生のことをだけに注目させます。
一方、御霊が僕らに考えさせてくれるのは、永遠のいのち、永遠の祝福や栄光のことです。イエス様が僕らに与えてくださるのは全部永遠に価値がある素晴らしいことばかりです。悪魔はイエス様にさえ、地上のことだけを考えるようにとそそのかしました。
(3)
そこで、悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになるように命じなさい。」
もしここで「そうですか、それならば」と言って石ころをパンに変えたら、イエス様はそれだけの人で終わりでした。石をパンに変えてお腹いっぱいになれたし、飢えてる人を満たすこともできました。でも、イエス様が地上に来られたのはなくなる食べ物のためではありません。永遠になくならない命を与えるためにこられました。
(4)
イエスは悪魔に答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない』と書いてある。」
人間は食事をするし、それは大切なことです。でも、『人はパンだけで生きるのではない』と聖書にあります。人に必要なのは、なくなることのないいのちです。必要なのは天から与えられるパンである神様のことばです。イエス様が僕らに与えてくださるいのちは、食べてもまたお腹が空くパンのような食べ物ではありません。悪魔は地上のことしか考えないように、永遠のいのちを与えないように攻撃します。
イエス様は僕らに永遠のいのちを、永遠のいのちに至る食べ物のみことばを与えるために来られました。
また、悪魔は地上の栄光や権力だけを見せようとします。それが一番魅力的で価値があるかのように思わせます。そしてイエス様に「この権力と栄光をあげるから私をにひれ伏しなさい」と誘惑します。
(5-7)
すると悪魔はイエスを高いところに連れて行き、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せて、
こう言った。「このような、国々の権力と栄光をすべてあなたにあげよう。それは私に任されていて、だれでも私が望む人にあげるのだから。だから、もしあなたが私の前にひれ伏すなら、すべてがあなたのものとなる。」
悪魔はイエス様さえも神様から引き離して、悪魔に従い礼拝するようにとそそのかします。ご褒美はこの世の栄光と権力です。しかし、この世の栄光も権力もひとときだけのものです。僕らが礼拝すべきは、永遠の栄光と権力をお持ちの神様だけです。
(8)
イエスは悪魔に答えられた。「『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」
この世の栄光は過ぎ去ります。たとえ全世界を手に入れても悪魔に聞き従って永遠の神様から離れるなら意味がありません。「それは私(悪魔)に任されていて、だれでも私が望む人にあげる」というのは本当です。今、この地上では悪魔は神様の許可の範囲だけで権力を握っています。でも、神様が許可された期間だけです。聖書は悪魔のことを「この世の神」と表現します。(2コリ4.4)最後には悪魔は滅ぼされ、全ての権力と栄光はイエス様のものになります。僕らが礼拝し、聞き従うべきは、永遠の王であり支配者であるイエス様です。
今日も悪魔は僕らにこの地上のものだけをちらつかせて誘惑します。でも、それらは滅び去ります。
(1ヨハネ 2:16-17)
すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。世と世の欲は滅び去ります。
今日も僕らの心の目が開かれて、地上のことでなく、天にあるものを第一に求めることができますように。
(コロサイ 3:2)
あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。
神様を第一に求める人には、地上にあっても必要は与えられます。僕らが今日も悪魔のそそのかしにだまされませんように。
(マタイ 6:33)
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
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