2023年1月4日水曜日

エレミヤ31.31-34

 聖書には「旧約」と「新約」があります。今日の箇所はその両方について説明してくれています。「新しい契約」略して「新約」という言葉は旧約聖書の中でここだけに出てきます。


(31-32)

見よ、その時代が来る──主のことば──。そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ。その契約は、わたしが彼らの先祖の手を取って、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破った──主のことば──。


新約に対して古い契約というのがあります。神様がイスラエルをエジプト(400年間奴隷にされていた)から救い出したときに結んだ契約ですそれは神様のことばに聞き従うなら祝福、聞き従わないならのろい、という行いの契約でした。


(申命 11:27-28) 

もし、私が、きょう、あなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令に聞き従うなら、祝福を、もし、あなたがたの神、主の命令に聞き従わず、私が、きょう、あなたがたに命じる道から離れ、あなたがたの知らなかったほかの神々に従って行くなら、のろいを与える。


この契約を結んだ時、人々は「主の仰せられたことはみな行ない、聞き従います。」と言いました。(主エジプト24.7)でも、彼らには無理で、ことごとく裏切りました。神様は契約通りにのろい、災い、怒りと裁きを下しましたが、それでも神様は愛することはやめません。


(3)

主は遠くから私に現れた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに真実の愛を尽くし続けた。


(20)

エフライムは、わたしの大切な子、喜びの子なのか。わたしは彼を責めるたびに、ますます彼のことを思い起こすようになる。それゆえ、わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない。──主のことば──


神様は契約を守ります。イスラエルは責められ、苦しめられますが、それは神様にとっても苦しみであり、神様はますますイスラエルを思い、はらわたがちぎれるほどに愛さずにはいられない、とおっしゃいます。神様の律法を守る力は人間にはありませんでした。人間は罪深く、行いによって義(正しい)と認められることはありません。


(ローマ3:20)

律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです


(エレミヤ17:9) 

人の心は何よりもねじ曲がっている。それは癒やしがたい。だれが、それを知り尽くすことができるだろうか。


いくら決心してもがんばっても人間には罪があり、陰険さがあり、努力では契約を守れないことが明らかになりました。守れないだけでなく「かえって罪の意識が生じる」と言います。(ローマ3.20)それでも神様はあきらめません。古い契約を更新し、新しい契約を与えてくださいました。


(33)

これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである──主のことば──。わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。


イスラエルには新しい契約が与えられています。この契約はイスラエルだけでなく、イエス様を信じる僕ら日本人(異邦人)にも与えられています。古い契約は「あなたが守れば…あなたが破れば…」というように、人間側の行いによる契約でしたが、新しい契約は「わたし(神様)は、何々をする」と主語が主ご自身です人間側の行いによりません。これが新約の特徴です

新しい契約の特徴は、神様の教えが心の板に直接書かれることです神様の御霊が直接僕らの心の中に教えてくださいます。


(ローマ7:6)

古い文字(古い契約のこと)にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです


新しい契約は、僕らが外側からの規則で半強制的に押し付けられるものではなく、内側からこうしたい、ああしたい、と神様の思いを自分の思いとしていきます。だから互いにああせ、こうせ、ということはなくなります。


34

彼らはもはや、それぞれ隣人に、あるいはそれぞれ兄弟に、『主を知れ』と言って教えることはない。彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るようになるからだ──主のことば──


心理学者ウイリアム・ジェイムズの言葉です

「心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば人生が変わる。」

このように神様が僕らの心をまず変えてくださいます。それによって行動も習慣も人格も変えられて行きます。これが新しい契約です


そして新しい契約の大きなもう一つの特徴は、「完全な罪の赦し」です


(34)

わたしが彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い起こさないからだ。


イエス様が僕らの罪のために身代わりに十字架でのろいを受け、僕らは完全に赦され、無罪とされ、神様は「彼らの罪を思い起こさない」と言ってくださいます。イエス様の血は僕らを完全にきよめてくださいます。これが新しい契約です。それをいつも確認するために、イエス様は一緒にパンを裂いて食べ、杯を一緒に飲んで思い出しなさい、と言われました。聖餐式と呼ばれるものです。杯を飲むのは、イエス様の血を思い出すためです。そして、イエス様の死によって赦されている、という新しい契約を思い出し、確認するためのものです


(1コリント11.26)

夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。」ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるです


信じた僕らは聖霊を受けて、新しい契約に入れられています。強制される行いでなく、心に神様のことばが書かれ続け、内側から変えられ途中です。罪は赦されました。まだ完成していないけど、でも、イエス様に似たものと変えられます。新しい契約に入っています。赦されています。心に神様のことばが書き記されています。感謝しましょう!

0 件のコメント:

コメントを投稿