神様はいつも弱い人、貧しい人の味方だし、彼らを助け弁護してくださいます。神様の方法はこうです。
みことばを指導者たちに与える→指導者たちがそのみことばを人々に教える→人々が神様の願いを知って貧しい人弱い人を助ける。
ところが、指導者たちが権力を持つといつも貧しい人たち弱い人たちよりも自分たちの利益や立場を守るようになってしまいます。
(1-4)
神は神の会議の中に立ち神々のただ中でさばきを下す。
いつまでおまえたちは不正をもってさばき悪しき者たちの味方をするのか。
弱い者とみなしごのためにさばき苦しむ者と乏しい者の正しさを認めよ。
弱い者と貧しい者を助け出し悪しき者たちの手から救い出せ。
神様が人間のことを神とか神々と呼ぶことはほとんどないけど、稀にあります。(出エジプト7.1など)今日の箇所もそれです。イエス様はこの詩篇82篇を解説して、神様はみことばを預かった指導者たちのことを神々と呼んでいる、とおっしゃいました。(ヨハネ10.35)
その指導者たちが不正をして、悪い人たちの見方をし、弱い人や苦しむ人たちを助けていないことを嘆いている詩篇です。
神様のみことばを預かった指導者は特に弱い人苦しむ人を助ける責任があります。イエス様の時代、聖書を学んでいる律法学者たちは、いつも自分の評判や自分の立場、自分の収入、見栄ばかりを求めました。イエス様は言われます。
(ルカ20:46-47)
「律法学者たちには気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ったり、広場であいさつされたりすることが好きで、また会堂の上席や宴会の上座が好きです。また、やもめの家を食いつぶし、見えを飾るために長い祈りをします。こういう人たちは人一倍きびしい罰を受けるのです。」
聖書のことばを学んでいても、貧しい人よりも自分のことしか考えないなら偽善です。僕らの偽善はやがて神様の前に正しく裁かれます。
(6-8)
わたしは言った。「おまえたちは神々だ。みないと高き者の子らだ。にもかかわらずおまえたちは人のように死に君主たちの一人のように倒れるのだ。」神よ立ち上がって地をさばいてください。あなたがすべての国々をご自分のものとしておられるからです。
これは教会に適用できます。みことばを教える牧師や教師は特に厳しく裁かれると聖書は言います。
(ヤコブ3:1)
ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです。
僕らが神様の願いの通り、いつも貧しい人や弱い人のことを大切に考えますように。自分の損得や立場や組織維持でなく、99匹の羊よりも困っている一匹の羊を大切にするような教会でありますように。(マタイ18:12)小さな一人を見下げたり軽んじたりすることがありませんように。
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