●わたしを呼べと言われる神様
神様は僕らに「わたしを呼べ。」とおっしゃいます。僕らは人のことばばかりを求めがちです。他人の発言や投稿ばかりで神様に向かないのが人間です。神様はわたしを呼べ、と言われます。そして神様は「わたしはあなたに答える」と言われます。神様は僕らが祈り求めるのを待っているかのようです。神様は必ず答えてくださいます。
(1-3)
エレミヤがまだ監視の庭に閉じ込められていたとき、再びエレミヤに次のような主のことばがあった。(…中略…)
『わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。』
神様がこのようにおっしゃったのは預言者エレミヤが監禁されていた時でした。どんなに不自由でも八方塞がりでも神様に呼び求めることができます。そして、神様は答えてくださいます。私たちが求めるべき相手は神様です。まず神様です。その時に自分が考えもしなかったことが与えらます。フレデリック・メイヤー牧師の言葉です。
「人生における最大の悲劇は答えてもらえなかった祈りではない。ささげなかった祈りである。」
●数千年に渡るエルサレムの滅びと回復の預言
祈りに対する神様の答えは与えらるし、神様のことばは実現します。でもそれが1分後か、10年後かわかりません。この時エレミヤに与えられた神様のご計画、人間の理解を超えた神様のご計画は数年後、数十年後、そして数百年後、数千年後の壮大な世界史でした。神様は「あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。」(3)とおっしゃった通り、壮大すぎる世界史がエレミヤに与えられました。その預言の内容を見ていきたいと思います。まとめると以下の4つになります。
①エルサレムが滅びる預言は数年後、そしてAD70年にも実現しました。
②エルサレムが回復する預言は70年後、そして現在2020年も継続中です。
③ダビデの子孫からキリストが現れ、すべての罪を赦す預言は約700年後に実現しました。
④キリストが世界を治め、世界がキリストを認め恐れ従う預言はいつか不明です。
①エルサレムが滅びる預言は数年後に実現しました。
人の理解を超えた神様のご計画はエルサレムとユダが一度全滅することでした。その理由は「彼らのすべての悪のゆえに、わたしがこの都から顔を隠したからだ。」とあります。
(4-5)
まことに、イスラエルの神である主は、敵の塁や剣に対抗するために取り壊された、この都の家々と、ユダの王たちの家々について、こう言われる。『彼らはカルデア人と戦おうとして出て行くが、わたしの怒りと憤りによって打ち殺された屍をその家々に満たす。それは、彼らのすべての悪のゆえに、わたしがこの都から顔を隠したからだ。
この預言の通りにエルサレムは炎に包まれ、多くの人たちが容赦無く虐殺されます。その最後の様子が2歴代誌の36章に書かれています。
(2歴代誌 36:17-19)
そこで、主は、彼らのもとにカルデヤ人の王を攻め上らせた。彼は、剣で、彼らのうちの若い男たちを、その聖所の家の中で殺した。若い男も若い女も、年寄りも老衰の者も容赦しなかった。主は、すべての者を彼の手に渡された。(…中略…)彼らは神の宮を焼き、エルサレムの城壁を取りこわした。その高殿を全部火で燃やし、その中の宝としていた器具を一つ残らず破壊した。
②エルサレムが回復する預言は70年後、そして現在2020年も継続中です。
ところが、神様は人間の理解を超えていて、滅びの先に回復と癒しと平安を与えようとしています。
(6-8)
見よ。わたしはこの都に回復と癒やしを与え、彼らを癒やす。そして彼らに平安と真実を豊かに示す。
わたしはユダとイスラエルを回復させ、以前のように彼らを建て直す。
わたしは、彼らがわたしに犯したすべての咎から彼らをきよめ、彼らがわたしに犯し、わたしに背いたすべての咎を赦す。
彼らは国を失いどん底を経験します。完全に自分の力を失ってから初めて神様の恵み、憐れみだけが100パーセント表されます。もう、自分が何かしたから祝福されたとか、行いで愛とか祝福を勝ち取るようなことができない状態になって初めて神様の恵み100パーセントの回復を与える、とおっしゃいます。まさに、心の貧しい者は幸いです、とおっしゃるように、全てを失ってから彼らは神様の恵みだけを体験します。
(9-11)
この都は、地のすべての国々の間で、わたしにとって喜びの名となり、栄誉となり、栄えとなる。彼らは、わたしがこの民に与えるすべての祝福のことを聞き、わたしがこの都に与えるすべての祝福と平安のゆえに恐れ、震えることになる。』」
主はこう言われる。「あなたがたが、人も家畜もいない廃墟と言うこの場所で、人も住民も家畜もいない、荒れすたれたユダの町々とエルサレムの通りで、楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、主の宮に感謝のいけにえを携えて来る人たちの声が、再び聞かれるようになる。彼らは言う。『万軍の主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで』と。わたしがこの地を回復させ、以前のようにするからだ──主は言われる。」
彼らが滅んだのは自業自得なはずです。そのようなイスラエルが回復する、と言われます。しかも神様は腐りきって滅んだユダとイスラエルを「わたしにとって喜びの名となり、栄誉となり、栄えとなる。」とおっしゃいます。(9)
これは僕らにも希望です。僕らが絶望したとしても、神様には終わったとか、無理とか、絶望はないことがわかります。
神様のみことばは実現しました。11節に『万軍の主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで』と歌う、と預言がありますが、70年後に彼らはバビロンから帰ってきて、破壊された神殿の土台をもう一度作り直したとき、彼らはこのように歌いました。神様の預言は世界史そのものになっていきます。
(エズラ 3:11-12)
そして、彼らは主を賛美し、感謝しながら、互いに、「主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに。」と歌い合った。こうして、主の宮の礎が据えられたので、民はみな、主を賛美して大声で喜び叫んだ。
しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、最初の宮を見たことのある多くの老人たちは、彼らの目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた。一方、ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げた。
イスラエルは破壊され、回復すことを何度か経験しています。紀元70年にまたローマ帝国によってエルサレムは完全に破壊され、彼らは国を失いました。今度は70年ではなく約1900年間国を失っていました。誰もがイスラエルが復興するなど想像もしない1900年間でした。
1900年の間イスラエルは不毛の地と呼ばれたそうです。30センチの日陰もないと言われていたそうです。世界に散らされたイスラエル人たちは何度も虐殺されてきました。有名なのはナチスドイツによる虐殺です。誰もがイスラエルは見捨てられた人たちだと思い、イスラエルは廃墟だと思われていました。だのに、1948年にイスラエルは回復します。そのとき、殺されないで生き延びてイスラエルに帰ってきた人たちもまだ後遺症で骨と皮だけの弱々しい人たちだったそうです。1948年の建国時はイスラエルの言葉も話せないようなそんな彼らです。誰もが不毛の地だと思っていたのに、イスラエルは復活しました。今では食料自給率が93パーセント以上だそうです。
「人も住民も家畜もいない、荒れすたれたユダの町々とエルサレムの通りで、楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、主の宮に感謝のいけにえを携えて来る人たちの声が、再び聞かれるようになる。」と言う預言は今も継続して実現しつつあります。
(6)
見よ。わたしはこの都に回復と癒やしを与え、彼らを癒やす。そして彼らに平安と真実を豊かに示す。
③ダビデの子孫からキリストが現れ、すべての罪を赦す預言は約700年後に実現しました。
(8)
わたしは、彼らがわたしに犯したすべての咎から彼らをきよめ、彼らがわたしに犯し、わたしに背いたすべての咎を赦す。
この預言は、イエス様の十字架によって実現しました。これはエレミヤ31章でも言われている預言です。
ヘブル10章17節はエレミヤ31.34預言の引用です。イエス様によって罪が完全に赦されることが預言され、それは実現しました。
(ヘブル 10:17)
「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。」
イエス様は十字架の上で神様の怒り、呪いを身代わりに引き受けてくださいました。
イスラエル人たちが良い人になったのではなく、キリストが裁きを引き受けてくだいました。
(16)
その日、ユダは救われ、エルサレムは安らかに住み、こうしてこの都は『主は私たちの義』と名づけられる。」
良い行いによって義と言われるのではなく、『主は私たちの義』です。イエス様だけが義です。これを信じた人はそのイエス様の義をいただいているだけです。私たちが正しいのではなく、イエス様が呪いも裁きも十字架で終えてくださって、その義に僕らも参加させていただいていいます。エレミヤは700年後のイエス様のことを預言していました。
(14-15)
「見よ、その時代が来る──主のことば──。そのとき、わたしはイスラエルの家とユダの家に語ったいつくしみの約束を果たす。
その日、その時、わたしはダビデのために義の若枝(イエス様のこと)を芽生えさせる。彼はこの地に公正と義を行う。
イエス様はダビデの子孫としてお生まれになり、義の若枝と呼ばれています。
④キリストが世界を治め、世界が恐れ従う預言はいつか不明
さらに、エルサレムが世界の中心となり、世界がそれを認めて恐る日が来ると預言されています。
(9)
この都は、地のすべての国々の間で、わたしにとって喜びの名となり、栄誉となり、栄えとなる。彼らは、わたしがこの民に与えるすべての祝福のことを聞き、わたしがこの都に与えるすべての祝福と平安のゆえに恐れ、震えることになる。』」
これはイエス様がもう一度この地上に来られ世界をご支配されるキリストの王国を預言しています。
このことは聖書に何度もありますが、エレミヤと同世代の預言者イザヤも同じような内容を神様から預かっています。イエス様がエルサレムに再臨され、世界を治めます。世界は国々はイエス様の教えを求めてエルサレムにきます。
(イザヤ 2:2-4)
終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る。
多くの民が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。
主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。
私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。
主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。
彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。
キリストの王国とはエルサレムから世界をご支配なさる、そのような王国だと聖書は言います。それがいつ実現するのかは不明です。
●イスラエルへの神様の変わらない契約と日本人との関係。
エレミヤの預言は直接はイスラエルの回復の預言です。ではそれが僕ら日本人とどう関係があるのか?が大切です。神様はイスラエルを愛し、見放すことがなく回復と祝福を約束してくださっています。そしてこの祝福はイエス様を信じた異邦人も一緒にいただけると聖書は言います。
(ガラテヤ 3:28-29)
ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。
神様は徹底してイスラエルへの約束を愛を貫き通します。
(20-21)
20,主はこう言われる。「もしもあなたがたが、昼と結んだわたしの契約と、夜と結んだわたしの契約を破ることができ、昼と夜が、定まった時に来ないようにすることができるのであれば、
21,わたしのしもべダビデと結んだわたしの契約も破られ、ダビデにはその王座に就く子がいなくなり、わたしに仕えるレビ人の祭司たちと結んだわたしの契約も破られる。
神様はイスラエルを愛し回復させることは絶対にやめません。罪の許しも、永遠の祝福も愛も、元々はイスラエルに与えられた恵みでした。その恵みがイエス様によって異邦人にも与えられています。この神様のイスラエルへの愛を同じようにいただけると聖書は言います。「ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。」です。(ガラテヤ3.28)
どん底で、見捨てられたように見えるイスラエルが回復します。同じように私たちもどんなに絶望しどん底でも同じ愛と恵みがいただけます。キリストのものであれば、僕ら日本人も祝福も約束もいただけます。だからイスラエルへの祝福を自分のことのように喜べます。僕らのどん底も回復の通過点です。祝福のための通過点です。
僕らの考えと神様の考えは全然違います。神様を呼び求めましょう。人の考えをはるかに超えた神様のご計画があります。
(3)
『わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。』
●まとめ
みことばは単なる教えとか道徳でなく、世界史です。世界がコロナや経済で混乱していく中で、神様がどのように人間の理解を超えたことをなさろうとしているのか示してくださっています。
私を呼べ、とおっしゃいます。人間の知恵を超えた神様のご計画が進行中です。神様を求めましょう。絶望せず希望を持ちましょう。神様は平安と祝福を与えようとしています。イスラエルへの神様の愛はイエス様によって世界中すべての人に注がれています。ハレルヤ!
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