2023年1月2日月曜日

エレミヤ34.8-22

 身に危険を感じ、死の恐怖が迫ると「神様助けて」と思い、神様の教えに従おうと思うのですが、危険や去ると急に神様より自分の快適さばかり考えるのが僕ら人間です。エルサレムのゼデキヤ王は敵のバビロンに包囲され、町全部が死の恐怖に襲われていました。ゼデキヤ王は身の危険を感じ「神様に従おう」と思ったようです


神様はユダヤ人同士が相手を奴隷にすることを禁止していました。愛する隣人であり神様の宝物である人を奴隷にしてはならないし、もし貧しくなって身売りすることがあったとしても奴隷ではなく従業員として働かせ、七年目には財産を持たせて自由にするルールでした。(レビ25.39-42、申命記15.12-14など)ところが、この時神様を無視して長年ユダヤ人を奴隷にしている人が大勢いたようです


ゼデキヤ王は身の危険を感じ、神様の教えに従って全部の奴隷を解放しました。それは神様に喜ばれる決断でした。


(8-10)

ゼデキヤ王がエルサレムにいる民全体と契約を結んで、彼らに奴隷の解放を宣言した後、主からエレミヤにあったことば。

その契約は、各自が、ヘブル人である自分の奴隷や女奴隷を自由の身にし、同胞のユダヤ人を奴隷にしないというものであった。

契約に加わったすべての首長と民は、各自、自分の奴隷や女奴隷を自由の身にして、二度と彼らを奴隷にしないことに同意し、同意してから奴隷を去らせた。


死の恐怖が町を囲み、ゼデキヤ王も人々も神様に従って奴隷を解放しました。この時敵の包囲が解けて危険が去ったようです。(エレミヤ37.5)ところが、危険が去ったとたんに「二度と彼らを奴隷にしないと契約したのに関わらず、再び隣人を捕まえて奴隷に戻してしまいます。


(11)

しかしその後で、彼らは心を翻した。そして、いったん自由の身にした奴隷や女奴隷を連れ戻し、強制的に彼らを奴隷や女奴隷の身分に服させた。


人間の心がいかに自分のことしか考えていないかがわかります。彼らが神様に従ったのは「困った時の神頼み」であって、神様を愛しているのでもないし敬っているのでもなく、「利用」しているだけでした。神様は彼らを怒り裁かれます。


(16-17)

それなのに、あなたがたは心を翻して、わたしの名を汚した。あなたがたは、それぞれ、いったん彼らの望むとおりに自由の身にした奴隷や女奴隷を連れ戻し、強制的に彼らをあなたがたの奴隷や女奴隷の身分に服させた。

それゆえ、主はこう言われる。『あなたがたはわたしに聞き従わず、各自、自分の同胞や隣人に解放を告げなかったので、見よ、わたしはあなたがたに──主のことば──剣と疫病と飢饉の解放を宣言する。わたしは、あなたがたを地のすべての王国にとって、おののきのもとにする。


20-22)

わたしは彼らを、敵の手、いのちを狙う者たちの手に渡す。その屍は空の鳥や地の獣の餌食となる。

また、わたしはユダの王ゼデキヤとその高官たちを、敵の手、いのちを狙う者たちの手、あなたがたのところから引き揚げたバビロンの王の軍勢の手に渡す。見よ。わたしは命じて──主のことば──彼らをこの都に引き返させる。彼らはこの都を攻め取り、火で焼く。わたしはユダの町々を、住む者もいない荒れ果てた地とする。』」


僕らは神様に聞き従いますが、いつも自分の損得とか利益とか不純物が混じってしまいます。

ゼデキヤの失敗は僕らが同じ失敗をしないために伝えられています

困った時だけの神頼みでなく、損得のためでなく、与えられた聖霊によって危険な時もそうでなくてもいつも神様を愛し信頼する僕らでありますように。

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