イエス様のことばは「神のことば」です。僕らはそれを信じるかどうか問われています。信じる人はそのことばの通りにしてみよう、と思います。信じない人は聞くだけです。従うつもりのない信仰は虚しいし、信じるだけなら悪霊も同じだと聖書は言います。(ヤコブ2.19-20)
ペテロもイエス様のことばを信じるかどうかを問われました。徹夜で漁を終えたばかりで、網を洗って畳んで片付けたばかりです。この時ペテロは一睡もしていず、疲れのピークです。そんな彼にイエス様は「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」と言われました。イエス様に従うことは大きな労力と犠牲を必要としました。
(4-5節)
話が終わるとシモンに言われた。「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」
すると、シモンが答えた。「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう。」
ペテロは漁を知り尽くしたベテランです。漁は夜中にやるのが常識です。イエス様は今までの常識や経験を超えたことばをおっしゃいます。しかも疲れている時に言われます。従うことは大きな犠牲です。それでも彼はやってみることにしました。
(6-7)
そして、そのとおりにすると、おびただしい数の魚が入り、網が破れそうになった。
そこで別の舟にいた仲間の者たちに、助けに来てくれるよう合図した。彼らがやって来て、魚を二艘の舟いっぱいに引き上げたところ、両方とも沈みそうになった。
イエス様のことばは神のことばであり、僕らが従うべき間違いのないことばです。神様のことばは僕らの計算とか、計画とか、経験を超えています。だのに僕らは自分の経験とか人の知恵の枠の中だけにいようとします。イエス様のことばは神様のことばです。神様のことばは実現します。僕らが従う時に圧倒的な神様の力や支配を間近で体験することができます。ペテロと仲間たちはイエス様の神の力と聖さに恐れを圧倒され恐れを感じてしまいました。
(8-9)
これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して言った。「主よ、私から離れてください。私は罪深い人間ですから。」
彼も、一緒にいた者たちもみな、自分たちが捕った魚のことで驚いたのであった。シモンの仲間の、ゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。
イエス様は続けて言われます。
(10-11)
イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間を捕るようになるのです。」彼らは舟を陸に着けると、すべてを捨ててイエスに従った。
ペテロと仲間たちは全てを捨てて従う人になりました。イエス様がおっしゃった通り、ペテロは魚を捕るのではなく多くの人々を神様の元に連れ戻す人間の漁師になりました。ペテロの説教によって多くの人が神様の所に帰ったことは「使徒の働き」に記録されています。
僕らもイエス様のことばを信じるかどうか問われています。経験したこともない「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」と言われたように、僕らにもイエス様は聞き従うようにと言ってくださいます。そして聞き従う人はイエス様の偉大さを知ります。イエス様のことばは人生全てをかけて従う価値のあることばです。イエス様のことばは決して裏切らない、しかも、死んでも永遠になくなることのない価値のあることばです。僕らが今日も深みに漕ぎ出し、イエス様に従いますように。ますますイエス様のことばの確かさと大きさを体験しますように。
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