神様が与えてくださった良いものを毎日数え上げて感謝することは、僕らを安全にし、安心させ、満足させます。
(1テモテ 6:6-9)
満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。
お金を愛し、お金を欲しがる人は「これで満足」ということはないようです。お金を持つほどに出費も増え、関係者も増え、そして、心配も増えるようです。どんなにお金を持っていて美味しいものを食べても心配で安心して眠れないなら不幸です。さらに、財産を持っていることが、その人を苦しめることもあるようです。
(10-13節)
金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた空しい。
財産が増えると、寄食者も増える。持ち主にとって何の成功だろう。それを目で眺めているだけだ。
働く者は少し食べても多く食べても、心地よく眠る。富む者は満腹しても、安眠を妨げられる。
私は日の下に、痛ましいわざわいがあるのを見た。所有者に守られていた富が、その所有者自身に害を加えることだ。
お金があってもなくても、神様に感謝して働く人は「少し食べても多く食べても、心地よく眠る。」とあります。(12節)神様は僕らを見捨てることがありません。だからお金に執着しなくても大丈夫です。
(ヘブル13:5)
金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
神様が与えてくださるもの一つ一つに感謝する人は小さなことにも喜びがあり、その人の人生は平安と楽しみに満たされます。
お金を愛するのではなく、お金を使って神様に感謝し、神様との関係を楽しむことこそ、僕らが最高に安心して満足する生き方です。
(18-20節)
見よ。私が良いと見たこと、好ましいこととは、こうだ。神がその人に与えたいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦にあって、良き物を楽しみ、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。
実に神は、すべての人間に富と財を与えてこれを楽しむことを許し、各自が受ける分を受けて自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。
こういう人は、自分の生涯のことをあれこれ思い返さない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。
僕らの周りにはすでに神様からの良いプレゼントが満ち溢れています。お金をいくら欲しがっても、貯めこんでも神様のとろこでは価値がありません。価値があるのは感謝して神様と人を愛するために用いることです。でも、神様を信頼し、神様に希望をもち、神様と隣人を愛することは、永遠に価値のあることです。(1コリント13.13)神様が与えてくださった良いものを毎日数え上げて感謝することは、僕らを安全にし、安心させ、満足させます。ハレルヤ!
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