僕らは人から良く思われることが大好きです。良いことをするにしても、ホンネは「私、いい人でしょう」という自慢の道具になってしまうことがあります。大事なことは神様からの評価です。自慢やアピールはやめなさい、と言われています。誰にも知られなくても人を助けることには天からの報いがあります。逆に、自慢のためなら神様からの報いは残されていません。神様は見ておられます。偽善に気をつけなさい、とイエス様はおっしゃいます。
(1-4節)
1人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から報いを受けられません。 2ですから、施しをするとき、偽善者たちが人にほめてもらおうと会堂や通りでするように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに言います。彼らはすでに自分の報いを受けているのです。3あなたが施しをするときは、右の手がしていることを左の手に知られないようにしなさい。4あなたの施しが、隠れたところにあるようにするためです。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
お祈りは神様との会話です。だのに、祈りさえも「私、信仰熱心でしょう」という自慢の道具になってしまいます。イエス様はそれに気をつけなさいとおっしゃいます。
(5-6節)
5また、祈るとき偽善者たちのようであってはいけません。彼らは人々に見えるように、会堂や大通りの角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに言います。彼らはすでに自分の報いを受けているのです。6あなたが祈るときは、家の奥の自分の部屋に入りなさい。そして戸を閉めて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
祈りは神様との会話です。誰にも聞かれる必要はありません。誰も見ていない時の祈りこそ本物です。もちろん一緒に祈るために集まって祈ることも大切です。それにしても祈りは神様に向かうものであって、人にアピールしたり自慢げに聞かせるものではありません。賛美も神様にささげるためのものです。熱心さとか歌のうまさを見せびらかすものではありません。誰にも見られていない時の祈りや賛美と、人に見られている時の祈りや賛美が態度が変わるかどうか、自分をチェックして見ましょう。人に見せるための祈りなら偽善だと聖書は言います。誰も見ていない時こそ本性が出ます。密室で祈りましょう。本音で祈りましょう。神様が聞いていてくださいます。
(コロサイ 3:23)
何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。
僕らの祈りも善行も純粋に神様にささげるものでありますように。
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