創世記35章
僕らはすぐに使い捨て、お取り替えの時代に生きています。そして、人に対してさえも同じように、「あの人が辞めてくれれば…」「もっといい人が来てくれれば…」と思います。
(新約聖書 1コリント 13:4-6)
愛は(…中略…)すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
ヤコブとその家族は決していい人たちではありません。
それでも神様は彼らを選び、忍耐し、導き続けてくださることをやめません。
神様は20年前にヤコブに現れ、「わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。」と言ってくださいました。(創世記28.15) だのにヤコブに神様に従わず、神様が言われた父の家ではない町に住みます。その町の男に娘のディナは犯され、傷つけられます。怒った兄たちは町中の男性を卑劣な方法で虐殺し、町中の財産も女性も子どもも略奪します。その結果、ヤコブ一族はその地域全体から敵対視され、報復攻撃の危険にさらされます。
怒りや殺意がむき出しになった危ないヤコブ一家です。そして周りにも怒りと復讐心が渦巻いています。それでも神様は見放さずにヤコブ一家を守り、語ってくださいます。
1 神はヤコブに仰せられた。「立ってベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウからのがれていたとき、あなたに現われた神のために祭壇を築きなさい。」
20年前、ここに戻って礼拝するのが約束でした。でも、ヤコブはまだ戻っていません。ヤコブの従い方は中途半端でした。ヤコブはもう一度神様に従って礼拝することを決意します。
2 それでヤコブは自分の家族と、自分といっしょにいるすべての者とに言った。「あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、身をきよめ、着物を着替えなさい。
3 そうして私たちは立って、ベテルに上って行こう。私はそこで、私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に祭壇を築こう。」
この一族には偶像がありました。ヤコブの妻ラケルは偶像を持っていました。(31.19) また、町中から略奪した女性たちもそれぞれの宗教を持っています。ヤコブはもう一度全ての人が偶像を捨て、真実な神様だけを礼拝するように呼びかけます。今まで不純だったのは自分たちの側です。
4 彼らは手にしていたすべての異国の神々と、耳につけていた耳輪とをヤコブに渡した。それでヤコブはそれらをシェケムの近くにある樫の木の下に埋めた。
神様は悔い改めて神様を礼拝するもう一度ヤコブを祝福してくださいます。まず、周りの町々からの報復攻撃から守ってくださいます。
5 彼らが旅立つと、神からの恐怖が回りの町々に下ったので、彼らはヤコブの子らのあとを追わなかった。
9 こうしてヤコブがパダン・アラムから帰って来たとき、神は再び彼に現われ、彼を祝福された。
神様のことばは実現します。神様はヤコブ一家がどんなになっても見放すことも見捨てることもありませんでした。信頼できるのは神様の愛だけです。
11 神はまた彼に仰せられた。「わたしは全能の神である。生めよ。ふえよ。一つの国民、諸国の民のつどいが、あなたから出て、王たちがあなたの腰から出る。
12 わたしはアブラハムとイサクに与えた地を、あなたに与え、あなたの後の子孫にもその地を与えよう。」
神様は全能です。こんなに荒れていて危険なヤコブ一家を祝福することができるのは全能の神様だけです。同じように、どんな弱い人でも、どんなに道をはずれた人でも祝福することがおできになるのはこの神様だけです。失敗だらけのヤコブ一家のことを神様は見放さず祝福してくださいました。
祝福されたのはいい人だったからではありません。
神様が忍耐してくださったからです。
神様の愛とは、ダメな人を忍耐し続けてくださることです。
愛とは忍耐です。
僕らは気に入らない人がいるとすぐにいるとすぐにメンバーチェンジを願います。でも、神様はひとりでも滅びることを願いません。
(新約聖書 2ペテロ 3:9)
主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
僕らは滅ぼされてもおかしくない罪人です。それでも神様は何年も忍耐してくださいました。今度は僕らの番です。隣人を赦し愛し、祝福しましょう。忍耐し赦すことは神様からいただく愛の現れです。
愛は忍耐です。
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