2023年3月3日金曜日

創世記36章

 創世記36章

双子の兄弟ヤコブとエサウがいました。兄エサウは神様の祝福を軽蔑したと書かれています。神様の祝福を軽視することは神様ご自身を軽く見ることです。
(創世記 25:34)
ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えたので、エサウは食べたり、飲んだりして、立ち去った。こうしてエサウは長子の権利を軽蔑したのである。
彼はお腹がすいて、祝福よりも煮物を選びました。その時彼は言います。
(創世記 25:30-32)
エサウはヤコブに言った。「どうか、その赤いのを、そこの赤い物を私に食べさせてくれ。私は飢え疲れているのだから。」「(…中略…)長子の権利など、今の私に何になろう。」
その煮物の色は赤でした。なので、これ以降「エドム」(赤)と呼ばれるようになります。彼の子孫はエドム人(赤の人)です。これは蔑称です。
(創世記25.30)
それゆえ、彼の名はエドム(赤)と呼ばれた。
そんな彼と彼の家族のことを聖書は詳しく記録します。それでも神様は彼らに良いものを与えてくださいます。エサウは神様を知らない女性3人と結婚します。
1 これはエサウ、すなわちエドムの歴史である。
2 エサウはカナンの女の中から妻をめとった。すなわちヘテ人エロンの娘アダと、ヒビ人ツィブオンの子アナの娘オホリバマ。
3 それにイシュマエルの娘でネバヨテの妹バセマテである。
カナン人とは偶像を拝む人たちです。エサウはそのような女性たちを選び複数の妻を持ちます。エサウは神様より煮物です。そして、神様よりも女性です。神様にとっては悲しみですが、それでも、神様は彼に良いものを与え、繁栄を与えてくださいます。彼の子孫から多くの国民が生まれ、多くの王たちが生まれます。
15 エサウの子で首長は次のとおり。エサウの長子エリファズの子では、首長テマン、首長オマル、首長ツェフォ、首長ケナズ、
16 首長コラ、首長ガタム、首長アマレクである。これらはエドムの地にいるエリファズから出た首長で、アダの子である。(…以下略…)
聖書は一貫して神様は善人にも悪人にも恵みを下さる、といいます。
(新約聖書ルカ 6:35-36)
ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。
あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。
当時、カナンの土地は財産や家畜が増えたヤコブとエサウが共存するには狭すぎました。それで、エサウはすべての家族やしもべ、そして家畜を携えて出て行きます。
6 エサウは、その妻たち、息子、娘たち、その家のすべての者、その群れとすべての家畜、カナンの地で得た全財産を携え、弟ヤコブから離れてほかの地へ行った。
7 それは、ふたりが共に住むには彼らの持ち物が多すぎて、彼らが滞在していた地は、彼らの群れのために、彼らをささえることができなかったからである。
8 それでエサウはセイルの山地に住みついたのである。エサウとはすなわちエドムである。
エサウ一族が次に住んだのはヨルダン川の東側の土地です。実はこれも神様からのプレゼントです。神様は後でイスラエル人に言われます。
(申命記 2:5)
彼らに争いをしかけてはならない。
わたしは彼らの地を、足の裏で踏むほども、あなたがたには与えない。
わたしはエサウにセイル山を彼の所有地として与えたからである。
神様はエサウに良くしてくださいます。神様を軽んじる民族に神様は良いものを与え続けてくださいます。神様は善人にも悪人にも良くしてくださる方です。
(新約聖書 マタイ5:45)
天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
祝福された弟ヤコブは神様に「イスラエル」という名前をもらい、その子孫が「イスラエル人」です。そしてイスラエル人以外の民族のことを「異邦人」と言います。それは「神様から祝福されない人」という意味があります。エサウの子孫も日本人も異邦人です。
ところが、聖書はイエス様のことを「異邦人の光」と表現します。
イエス様は神様から祝福されない異邦人のための光です。イエス様はいつも貧しい人、病気の人、罪人と言われる人たちを招いてくださいました。
神様は今もクリスチャンだけを愛しているのではありません。神様を悲しませるような生き方をする人に神様はどれだけ忍耐と愛と恵みを与え続けてくださったかを聖書は伝えています。
最終的なさばきは神様の領域です。
だのに僕らはすぐに上から目線、さばき目線になりやすいものです。
神様の恵みは僕らが思う以上に広く大きいです。
先に信じた僕らはイエス様と一緒に祝福から落ちてしまった人たちに光を教える役目があります。自分だけ良ければオッケーではありません。そもそも、僕らは暗闇でもがいていた罪びとにすぎません。威張れる者ではありません。
(新約聖書 使徒 13:47)
主は私たちに、こう命じておられるからです。『わたしはあなたを立てて、異邦人の光とした。あなたが地の果てまでも救いをもたらすためである。』」
今度は僕らの番です。上から目線をやめて、イエス様と一緒にすべての人を愛することにしましょう。暗闇でもがく人に希望を差し出しましょう。その力も愛もイエス様が与えてくださいます。僕らは赦された罪人にすぎません。
(新約聖書 マルコ 2:17)
「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」

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