2023年4月6日木曜日

マルコ14.53-72

 マルコ14.53-72


イエス様を信じ告白することは、キリストのための苦しみも共有することです。(ピリピ1.29)これは聖霊によらなければありえない選択です。みんな自己保身、マウントを取ること、上に行くこと、傷つかないことばかりを優先します。イエス様に従うと殺されるとか、迫害される時代とか状況ではなおさらです。イエス様を告白することは自分の力ではできません。「聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。」(1コリント12.3)と聖書はいいます。この世はイエス様を憎みます。この世の権力者である悪魔は今も昔も働いています。悪魔は空中の権威を持つ支配者です。(エペソ2.2)僕らは迫害されるのがイヤなので、告白することも従うことも躊躇します。悪魔はこの世のあらゆる状況を使ってイエス様を殺し、イエス様に従う人たちを脅し、苦しめ、従わないようにさせます。当時の宗教的な権力者たちはイエス様を死刑にするための裁判をしました。最初から結論は決まっています。死刑です。悪魔は宗教指導者を使ってイエス様を殺します。



(55-64)

55,さて、祭司長たちと最高法院全体は、イエスを死刑にするため、彼に不利な証言を得ようとしたが、何も見つからなかった。

56,多くの者たちがイエスに不利な偽証をしたが、それらの証言が一致しなかったのである。

57,すると、何人かが立ち上がり、こう言って、イエスに不利な偽証をした。

58,「『わたしは人の手で造られたこの神殿を壊し、人の手で造られたのではない別の神殿を三日で建てる』とこの人が言うのを、私たちは聞きました。」

59,しかし、この点でも、証言は一致しなかった。

60,そこで、大祭司が立ち上がり、真ん中に進み出て、イエスに尋ねた。「何も答えないのか。この人たちがおまえに不利な証言をしているが、どういうことか。

61,しかし、イエスは黙ったまま、何もお答えにならなかった。大祭司は再びイエスに尋ねた。「おまえは、ほむべき方の子キリストなのか。」

62,そこでイエスは言われた。「わたしが、それです。あなたがたは、人の子が力ある方の右の座に着き、そして天の雲とともに来るのを見ることになります。」

63,すると、大祭司は自分の衣を引き裂いて言った。「なぜこれ以上、証人が必要か。

64,あなたがたは、神を冒瀆することばを聞いたのだ。どう考えるか。」すると彼らは全員で、イエスは死に値すると決めた。



悪魔はイエス様を憎みます。そして、僕らの中にも罪があり、それはイエス様よりも自分を上にしたがります。イエス様が死刑確定になった瞬間、兵士も役人もここぞとばかりにイエス様を愚弄します。「そして、ある者たちはイエスに唾をかけ、顔に目隠しをして拳で殴り、「当ててみろ」と言い始めた。また、下役たちはイエスを平手で打った。」(65)ペテロはイエス様の苦しみを目の当たりにしました。その苦しみが次は自分にも降りかかると思うと弟子であることを隠すしかありませんでした。自分はイエスの仲間ではないと三度嘘を付き、断言し、誓います。何の準備もできていないペテロはそうすることしかできませんでした。



(66-72)

66,ペテロが下の中庭にいると、大祭司の召使いの女の一人がやって来た。

67,ペテロが火に当たっているのを見かけると、彼をじっと見つめて言った。「あなたも、ナザレ人イエスと一緒にいましたね。」

68,ペテロはそれを否定して、「何を言っているのか分からない。理解できない」と言って、前庭の方に出て行った。すると鶏が鳴いた。

69,召使いの女はペテロを見て、そばに立っていた人たちに再び言い始めた。「この人はあの人たちの仲間です。」

70,すると、ペテロは再び否定した。しばらくすると、そばに立っていた人たちが、またペテロに言った。「確かに、あなたはあの人たちの仲間だ。ガリラヤ人だから。」

71,するとペテロは、噓ならのろわれてもよいと誓い始め、「私は、あなたがたが話しているその人を知らない」と言った。

72,するとすぐに、鶏がもう一度鳴いた。ペテロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います」と、イエスが自分に話されたことを思い出した。そして彼は泣き崩れた。



イエス様を信じ告白することは、キリストのための苦しみも共有することです。(ピリピ1.29)これは聖霊によらなければありえない選択です。ところが、イエス様の聖霊を受けた人は変えられます。「いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。」(マルコ 8:35)イエス様は苦しみで終わった方ではありません。復活し、神の右の座につき、すでに全ての権威と栄光をお持ちです。そして、僕らも「天の雲とともに来るのを見ることになります。」(62-63)やがて全ての敵は一掃されます。

今日も目先の自己保身でも損得でもなく、苦しみを通って栄光の座に就かれた王であるイエス様を見上げ、信頼し、告白し、賛美し、従う日でありますように。

0 件のコメント:

コメントを投稿