詩篇16篇
モノやお金で安心したい人、仕事や結果を出すことで安心したい人、食べることでホッとする人、人から認められ愛されることで安心したい人、神様を知らなければ僕らはみんな何かで満たされたいと思います。でも、それは一時的です。神様と交わり、神様を愛し、神様のことばを聞くことには、この世にはない喜びと楽しみと安心があります。しかも、それは永遠です。
(1-2)
1,神よ私をお守りください。私はあなたに身を避けています。
2,私は主に申し上げます。「あなたこそ私の主。私の幸いはあなたのほかにはありません。」
「幸い」は原文では「良いもの」ということです。良いものは全部神様からです。これを書いたダビデはいつも人から妬まれ嫌がらせを受けていました。サウルはダビデを殺そうとし、その後息子アブサロムが反逆します。この世の苦しみの中で、彼はいつも神様との交わりを喜んでいました。神様はちょうど良いものを与えてくださいます。「割り当て」とは、タダで与えられる相続財産とかお金とか土地のことです。神様ご自身が僕らに素晴らしいものを永遠に与えてくださっています。しかも、日々助言をくださり、聖霊によって語りかけてくださっています。彼は「実に夜ごとに内なる思いが私を教えます。」と言います。(7)
(5-7)
5,主は私への割り当て分また杯。あなたは私の受ける分を堅く保たれます。
6,割り当ての地は定まりました。私の好む所に。実にすばらしい私へのゆずりの地です。
7,私はほめたたえます。助言を下さる主を。実に夜ごとに内なる思いが私を教えます。
僕らに何か良いものがあったとしても、それは何も自慢することができません。それら全部が神様からのプレゼントだからです。
自分が頑張った、とか、自分がこうしたから、自分がこうだったから、という幸せは不安定で、喜んだり恐れたりを繰り返します。でも、神様がいつも一緒にいてくださることは、揺るぎない喜びです。
(8-9)
8,私はいつも主を前にしています。主が私の右におられるので私は揺るがされることがありません。
9,それゆえ私の心は喜び私の胸は喜びにあふれます。私の身も安らかに住まいます。
ダビデも苦しみの連続でしたが、イエス様は最悪でした。でも、イエス様は知っておられました。死んで捨てられても、それで終わることはありません。復活があります。イエス様はこの詩篇の通りに復活しました。この詩篇16篇に書いてある通りだった!ということを使徒ペテロがあとでメッセージしています。(使徒の働き2章)
(10-11)
10,あなたは私のたましいをよみに捨て置かずあなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならないからです。
11,あなたは私にいのちの道を知らせてくださいます。満ち足りた喜びがあなたの御前にあり楽しみがあなたの右にとこしえにあります。
今日も用事があります。対応しなければならないことが山ほどあると思います。でも、一旦脇において、一旦放っておいて神様のとの交わりに時間を費やしましょう。そこには永遠の喜びと幸いと平安があります。「満ち足りた喜びがあなたの御前にあり楽しみがあなたの右にとこしえにあります。」ハレルヤ!
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