2023年7月5日水曜日

1コリント3.10-23

 1コリント3.10-23


僕らは終わりの日に「人生を何に使った?」と問われます。神様の前で価値のあることに使う人生もあるし、ムダなことに使うこともあります。ムダなことに費やした人生だったとしても、イエス様を信じた人はギリ救われます。「その人自身は火の中をくぐるようにして助かります。」(15)ですが、一度きりの人生を何に使うかはすごく大事です。聖書は、人生を「家を建てる」と表現し、(10)それが金、銀、宝石の家なのか、木、草、藁の家なのかと問います。(12-15)



(10-15)

10,私は、自分に与えられた神の恵みによって、賢い建築家のように土台を据えました。ほかの人がその上に家を建てるのです。しかし、どのように建てるかは、それぞれが注意しなければなりません。

11,だれも、すでに据えられている土台以外の物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。

12,だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、藁で家を建てると、

13,それぞれの働きは明らかになります。「その日」がそれを明るみに出すのです。その日は火とともに現れ、この火が、それぞれの働きがどのようなものかを試すからです。

14,だれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。

15,だれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、その人自身は火の中をくぐるようにして助かります。



終わりの日、イエス様は「火とともに現れ」僕らの人生が「燃えて消えるムダなもの」だったのか、「金、銀、宝石」だったのか試されます。たとえ、知恵があって「すごー!」と讃えられても、それが単なる自慢なら、神様から出たものでないならムダなものです。「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。世と世の欲は滅び去ります。」(1ヨハネ2.16-17)



(19-21)

19,なぜなら、この世の知恵は神の御前では愚かだからです。「神は知恵のある者を、彼ら自身の悪巧みによって捕らえる」と書かれており、

20,また、「主は、知恵のある者の思い計ることがいかに空しいかを、知っておられる」とも書かれています。

21,ですから、だれも人間を誇ってはいけません。すべては、あなたがたのものです。



たとえ犠牲を払って大きなことを成し遂げても、自分の財産を貧しい人にささげても、すごい説教をしていも、そこに神様からの愛がないならワラのようです。(1コリント13.1-3)「いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。」(1コリント13.13)僕らは今日も問われています。「そこに愛はあるんか?」「そこに御霊はおるんか?」「そこに信仰はあるんか?」と。たとえ信仰があっても愛がなければムダ、とさえ書かれています。(1コリント13.2)AIですごい論文を書くより、人を励ます小さなことばの方が宝石です。僕らの体も心も御霊の現れ、御霊の住まいだからです。


16

あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。



僕らの全部はキリストのものです。「あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものです。」(23)だから今日もムダなものは捨ててフルに使ってもらいましょう。僕らから愛は出ませんが、「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ5.5)僕らの体も心も御霊のもの、キリストのもの、聖なる宮、金、銀、宝石です。ハレルヤ!






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