2024年7月30日火曜日

2サムエル2.12-32

 2サムエル2.12-32


神様の願いは争いを避けることですが、僕らは争ってしまいます。なぜ人は争い殺し合うのか?聖書は次のように答えます。



(ヤコブの手紙 4章1節)

あなたがたの間の戦いや争いは、どこから出て来るのでしょうか。ここから、すなわち、あなたがたのからだの中で戦う欲望から出て来るのではありませんか。



そして、「からだの中で戦う欲望」とは、欲しいものを手に入れるためなら人と争い、殺してでも手に入れようとする欲望です。



(ヤコブの手紙 4章2節)

あなたがたは、欲しても自分のものにならないと、人殺しをします。熱望しても手に入れることができないと、争ったり戦ったりします。



戦う時には大義名分を掲げるけども、実際は自分の栄光のため、自分の強さを見せたかったり肉欲や物欲を満たすためです。欲しがる欲望は僕らの心にあって、それは争い殺し合うガソリンのようです。

最初は闘技であったとしても、傲慢さと欲が心にある限りは争いは止まりません。小さな火が大火事になるように広がっていきます。その悪い実例が、ダビデ家の将軍ヨアブの家来たちと、サウル家の将軍アブネルの家来たちとの間の闘技でした。彼らは同じイスラエル人たち同志であり兄弟です。



(サムエル記 第二 2章14~17節)

アブネルはヨアブに言った。「さあ、若い者たちを出し、われわれの前で闘技をさせよう。」ヨアブは言った。「よし、そうしよう。」

ベニヤミンの側、すなわちサウルの子イシュ・ボシェテの側から十二人、ダビデの家来たちから十二人が順番に出て行った。

彼らは互いに相手の頭をつかみ、相手の脇腹に剣を刺し、一つになって倒れた。それで、その場所はヘルカテ・ハ・ツリムと呼ばれた。それはギブオンにある。

その日、戦いは激しさを極め、アブネルとイスラエルの兵士たちは、ダビデの家来たちに打ち負かされた。



彼らの中の欲望は燃え広がりブレーキが効かなくなっていきます。エスカレートする戦いと「このままではまずい」と思う気持ちが交錯するようです。



(サムエル記 第二 2章18~24節)

そこに、ツェルヤの三人の息子、ヨアブ、アビシャイ、アサエルがいた。アサエルは野のかもしかのように、足が速かった。

アサエルはアブネルの後を追った。右にも左にもそれずに、アブネルを追った。

アブネルは振り向いて言った。「おまえはアサエルか。」彼は答えた。「そうだ。」

アブネルは彼に言った。「右か左にそれ、若い者の一人を捕らえ、その者からはぎ取れ。」しかしアサエルは、アブネルを追うのをやめず、ほかへ行こうとしなかった。

アブネルはもう一度アサエルに言った。「私を追うのはやめ、ほかへ行け。なぜ、私がおまえを地に打ち倒さなければならないのか。どうやって、おまえの兄ヨアブに顔向けができるというのか。」

アサエルはなおも拒んで、ほかへ行こうとしなかった。それでアブネルは、槍の石突きで彼の下腹を突いた。槍はアサエルを突き抜けた。アサエルはその場に倒れて、そこで死んだ。アサエルが倒れて死んだ場所に来た者はみな、立ち止まった。

しかしヨアブとアビシャイは、アブネルの後を追った。太陽が沈んだとき、彼ら二人はギブオンの荒野への道を通り、ギアハの反対側にあるアンマの丘までやって来た。



殺し合いを続ける悲惨さは両者ともわかっています。それで、アブネルは日没後に山の上から呼びかけ、停戦を提案し、両者は合意して一旦争いを終えることができました。



(サムエル記 第二 2章26~28節)

アブネルはヨアブに呼びかけて言った。「いつまでも剣が人を食い尽くしてよいものか。その果ては、ひどいことになるのを知らないのか。いつになったら、兵たちに、自分の兄弟たちを追うのをやめて帰れ、と命じるつもりか。」

ヨアブは言った。「神は生きておられる。もし、おまえが言い出さなかったなら、確かに兵たちは、明日の朝まで、それぞれ自分の兄弟たちを追うのをやめなかっただろう。」

ヨアブは角笛を吹いた。それで兵たちはみな立ち止まり、それ以上イスラエルの後を追わず、戦いを続けることはなかった。



この日は終えることができましたが、彼らの心の中に争い心はくすぶり続けたようです。聖書は「サウルの家とダビデの家の間には、長く戦いが続いた。」と言います。(3.1)

争いの原因は、私たちが自分の栄光を欲しがる高ぶりです。相手を尊敬せず、見下します。心の中にある小さな気持ちは口に出ます。内側がきよめられない限り、どうしても高ぶりは出てしまうし、結果として争いに発展し広がってしまいます。聖書は人を見下すことを止めるように繰り返します。


(箴言 17章14節)

口論の始まりは水が吹き出すようなもの。争い事が起こらないうちにやめよ。


(箴言 26章20節)

薪がなければ火が消えるように、陰口をたたく者がいなければ争いはやむ。


(箴言 22章10節)

嘲る者を追い出せ。争いは出て行く。もめごとも辱めも終わる。



人を尊敬してないこと、愛してないことを認め、告白して捨てましょう。

そして、イエス様がくださる新しい心を受け取りましょう。イエス様がくださる御霊は兄弟姉妹を愛し、尊敬します。相手はイエス様が命を捨ててくださったほどの大事な人です。その心は与えられます。求めましょう。変えられましょう。必ず与えられ変えられます。ハレルヤ!

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