2024年10月27日日曜日

イザヤ34.1-8、イザヤ35.1-10「回復のために破壊されリセットされる日」

 イザヤ34.1-8、イザヤ35.1-10

「回復のために破壊されリセットされる日」


●イントロ 全ての人のための警告


34章は、出来れば読みたくない悲惨な箇所です。

イザヤ書はその当時、実際に起こった預言。すでに実現したことと、これから起こること。まだ起きてないことの両方が書かれています。


僕らにとってこの箇所は将来起こる神様の怒りと裁き、そしてこの世の終わりの崩壊、裁きとして大虐殺の生々しい箇所です。神様は聖書を通してすべての人たちに聞けと呼びかけています。


神様は優しい愛の神様なのに、どうしてこんな残酷なことするの?って思います。

ちゃんと警告する理由は、僕らが神様の裁きに合わず、守られ、救われるためです。

崖から落ちて死なないために柵を作り、ちゃんと警告してくれます。

悲惨なことにならないために、ちゃんと聞きなさい、と言われています。


(1)

国々よ、近づいて聞け。諸国の民よ、耳を傾けよ。地とそこに満ちているものよ、聞け。世界とそこから生え出たすべてのものよ。


これは、世界中に対する警告です。後で読みますがイエス様も同じ警告をしています。

これは、脅しではなく、裁きの中でも守られ、殺されるのではなく、生かされ、愛されるための警告です。


世界は終わります。それは絶望ではなくて、神様の願わないもの、人を苦しめ不幸にするものは全部滅び去ることです。神様が作った世界は素晴らしいものでした。悲しみも叫びもなかった世界を作りました。


でも、人間が神様を無視し、裏切り、互いに殺し合い、傷つけあい、人間も自然も汚れてボロボロになっています。

それでも、神様は諦めていません。もう一度神様の国に回復させられます。新しくされます。そこには呪われたものは悪いものは一切ありません。

だから、神様は言われます。


(1)国々よ、近づいて聞け。諸国の民よ、耳を傾けよ。地とそこに満ちているものよ、聞け。世界とそこから生え出たすべてのものよ。


イエス様が地上に来て、教えを始めた時、最初に言われたのは御国が近づいた。


マタイ 3:2 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」


新しい、完全な国が近づいています。そして、汚れたもの、神様の意図にそぐわないものは完全に滅ぼされていきます。悔い改めなさい、とは、方向を変えて、罪をやめて、戻ってきなさい、です。


世界の終わりは悪を行う人には恐怖だけども、神様のところに帰った人には喜びです。神様の世界が回復する日だからです。

イエス様はおっしゃいました。


マタイ 24:35 この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。


神様の言葉は出来事となります。イエス・キリストの言葉は必ず実現します。そして、それ以外のものはたとえ宇宙であっても消え去って行きます。今日のイザヤ書の箇所とイエス様の言葉は完全に一致しています。


●全てが裁かれ終わる日。


この世の終わりのことを想像しなくても、人生は終わることをみんな知っています。

昨年は教会の関係者9件の葬儀がありました。


別れは寂しいけども、死ぬことは悲しいけれども、でもその後に復活があります。完全に罪のない、病気のない、イエスキリストに似た完全な人に変えられて復活します。


1コリント 15:42

朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、(…中略…)

血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。


同じように、それが世界規模で送ります。神様が願っていないものは全部消え去ります。

そして、全てがなくなったように見えて新しい世界が始まります。


どんなに美しく素晴らしいものでも、神様を愛していないものは消え去ります。神様への信頼や感謝から出てないものは消えます。神様の怒りと裁きの対象です。

特に神様に反抗して、神様に頼らず自分達の力、軍事力に頼ることを神様は怒り消し去ります。


それは悪臭を放ち無意味なゴミの山と化していきます。

人間だけでなく、太陽や月や星さえも消えていき、この世界は完全になくなると言います。


イザヤ書 34章2-3節

主がすべての国に向かって激しく怒り、そのすべての軍勢に向かって憤り、彼らを聖絶し、虐殺されるにまかされたからだ。

彼らの殺された者は投げ捨てられ、その死体は悪臭を放ち、山々はその血によって溶ける。"



イザヤ書 34章9~10節

"エドムの川はピッチに、その土は硫黄に変わる。その地は燃えるピッチになる。

それは夜も昼も消えず、その煙はいつまでも立ち上る。そこは代々にわたって廃墟となり、もうそこを通る者はだれもいない。"


ピッチとは原油が高温で溶かされた黒色の液体だそうです。神様の怒りと裁きによってずっと燃え続ける様子が分かります。

いつからこの世界が呪われたのか?最初からです。分厚い聖書、約2000ページの中で、神様が作り、よかったと書いてあるのわ最初の2章、3ページだけです。最初の人アダムとエバが神様を無視した時から、世界は呪われてしまいました。


今もビジネスにはゴミが入ってます。邪悪なものが入ってます。政治にも罪が入っています。神様は人間にこの地球を管理しなさい、自然を愛しなさいと言ったけど、やっぱり僕ら人間は自然を壊して汚してきました。完全なものに変えられるためには全て一度消されます。


イザヤ書 34章4節

"天の万象は朽ち果て、天は巻物のように巻かれる。その万象は枯れ落ちる。ぶどうの木から葉が枯れ落ちるように。いちじくの木から実がしぼんで落ちるように。"


●新しい世界の始まり


この世界は邪悪なもの、つまり、神様を愛し信頼せずに作り上げた人生も街も国も不完全なものは全部消えます。そして、その次に、残された人が、信じて忍耐して待ち望んだ人が回復します。そしてすべての自然界が回復します。


(35章 1-2節)

1,荒野と砂漠は喜び、荒れ地は喜び躍り、サフランのように花を咲かせる。

2,盛んに花を咲かせ、歓喜して歌う。これに、レバノンの栄光と、カルメルやシャロンの威光が授けられるので、彼らは主の栄光、私たちの神の威光を見る。


黙示録を読むと、イエス様が地上に来られる素晴らしい統治の時期は、苦しみ患難期の後にあると書かれています。荒れ果てて砂漠のようになってしまった世界が、更地のように全てが破壊された世界が、生き返るのが喜び躍のが35章の預言です。


イザヤ書 35章5~8節


"そのとき、目の見えない者の目は開かれ、耳の聞こえない者の耳は開けられる。

そのとき、足の萎えた者は鹿のように飛び跳ね、口のきけない者の舌は喜び歌う。荒野に水が湧き出し、荒れ地に川が流れるからだ。

焼けた地は沢となり、潤いのない地は水の湧くところとなり、ジャッカルが伏したねぐらは葦やパピルスの茂みとなる。

そこに大路があり、その道は「聖なる道」と呼ばれる。汚れた者はそこを通れない。これは、その道を行く者たちのもの。そこを愚か者がさまようことはない。"


新しい世界ではイエス様が王様です。全ての人が完全にされ、もう病気がない世界です。「目の見えない者の目は開かれ、耳の聞こえない者の耳は開けられる。」

もうメガネも補聴器もいりません。

霊的ば心の目も、心の耳も開けられます。みんな神様のことがわかり、みんな神様の声を聞き、神様に感謝し、喜び叫びながら王であるイエス様のもとに行き、聞き従う世界です。


8節

そこに大路があり、その道は「聖なる道」と呼ばれる。汚れた者はそこを通れない。これは、その道を行く者たちのもの。そこを愚か者がさまようことはない。


イエス様の家にいく大路があります。対面で会えて話を聞くことができるようになります。

もう妨害するものはありません。


イザヤ書 35章9~10節

"そこには獅子もおらず、猛獣もそこに上って来ることはなく、そこには何も見つからない。贖われた者たちだけがそこを歩む。

主に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンに入り、その頭にはとこしえの喜びを戴く。楽しみと喜びがついて来て、悲しみと嘆きは逃げ去る。"


イエス様と会う世界は対面であり、喜びの歌がいつもある世界です。嘆きや悲しみは消え去っていきます。


もともと神様がお作りになった世界はこのように意図されていました。病気はなかった。悲しみはなかった。叫びはなかった。音楽はいつも神様に感謝し賛美する音楽でした。


個人の終わりが来ます。そして世界の終わりも来ます。

僕らクリスチャンも不完全です。意地悪な時もあるし、病気もあります。人間関係のもつれもあります。肉の欲に勝てないこともあります。僕も未だにもがいています。

でも、邪悪なものは全て死にます。そして新しい体で心で、イエス様に完全に似た人となって復活します。


この世界も同じです。神様に感謝しない社会のシステムとか建築物とか人間の技術、全部消えていきます全部がリセットされ、更地になってからもう一度神様の世界が回復します。


●大切なものはなんですか?


関西学院大学の藤井先生の授業、命の授業です


質問1

目に見える、大切なものや人をあげて下さい。


質問2

大切にしてる活動をあげてください。


藤井先生は、あなたが病気になり年老いていくときに、少しずつ手放していく必要があります。

大切にしていた人や活動全てと別れる日が来ます、と言って死んでいくことの模擬体験を学生にさせる授業です。その授業を通して学生たちは人生について、死についてリアルに考えさせられます。


すべてを手放す日が来ます。でも残るものもあります。


1コリント 13:13

いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。


神様の前に復活し、完全にされるのは信仰と希望と愛です。

大事にしてきたもの、人との関係、大切な活動に神様への信頼や愛があるならそれは永遠に残るものです。


しかしそこに神様への信仰がなく、愛もなく、この世の栄光や力、肉の欲、目の欲ならば、全部消えていきます。ゴミの山になります。


破壊、混乱はあります。この世界は暗くなり「いつまでですか?」と言いたくなります。

でも、神様は耐えることのない試練に合わせることはなさいません。


1コリント 10:13

神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。


長く感じても、必ず脱出があります。もし、戦争や病気や災害で死ぬことがあっても、それでも、死んだとしても僕らは希望を持って復活を待ち望むことができます

だから今日の箇所はいいます。


3節

"弱った手を強め、よろめく膝をしっかりさせよ。

心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ。恐れるな。見よ。あなたがたの神が、復讐が、神の報いがやって来る。神は来て、あなたがたを救われる。」


●再び来るイエス様とそれを伝える私たち


イエス様は盲人を見えるようにし、聾唖者を聴こえるようにし、歩けない人を歩かせるようにしました。

これは、まさに、イザヤ35章に書かれていることはやがて私によって、イエス様によって実現することを証明するものでした。


バプテスマのヨハネは聞きました。


マタイ11.3-5

イエスにこう言い送った。「おいでになるはずの方はあなたですか。それとも、別の方を待つべきでしょうか。」イエスは彼らに答えられた。(…中略…)「目の見えない者たちが見、足の不自由な者たちが歩き、ツァラアトに冒された者たちがきよめられ、耳の聞こえない者たちが聞き、死人たちが生き返り、貧しい者たちに福音が伝えられています。」


ヨハネが聞きたかったことは、旧約聖書イザヤ書に書いてあるように、新しい世界がきて、新しい王が支配する、とあるのはイエス様あなたのことですか?ということです。


そしてその答えは、イザヤ書に書いてある預言が実現している、ということです。つまり、私がそれです、ということです。


イザヤ書にあるように、全て神様に反抗するものは滅ぼされ、そして、新しい世界が起こる希望を語ってくださいました。そうする主権を持っているのは私だ、という意味です。


イエス様はもう一度来られます。

1回目は約2000年前に来られてこのことを伝えました。

このイザヤ書に書かれた裁きと回復が来るということを予告され実証されました。


イエス様の前では病気は去り悪霊は去っていきました。これはキリストが全ての王様である証明です。

そしてこの福音を世界中に伝えなさいと言いっています。


もう一度こられるまでに、王であるイエス様に喜ばれないものは全部消えていくってことを私たちが伝える必要があるんです。そしてまたこの王様によってこの世界は新しくなる、と希望を伝えるんです。福音は良い知らせです。いつ世界の終わりが来るか?いろんな学者が旧約聖書の預言を調べていろんな説明がいあるけど、イエス様の説明はシンプルです。


マタイ 24:14 この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。


だから僕たちはこの福音を伝えるんです。全世界に出て行って伝えなさい、と言われています。


イエス様は自分だけ救われればいいって言ってなかったです。

自分の教会だけ守られるように、自分の家族だけ守られるように、とは教えていないです。


全ての人に伝えなさい、それから終わりが来ます。今日の1節も同じ。


(1)

国々よ、近づいて聞け。諸国の民よ、耳を傾けよ。地とそこに満ちているものよ、聞け。世界とそこから生え出たすべてのものよ。


カイロスコース、世界宣教の学びをしています。

先週はオンラインで2日間びっちりやりました。久しぶりに神学生に戻った感じです。

今週は関西聖書学院に行って対面で3日間学びます。


学びは衝撃的でした、あるデータによると、世界の教会の予算、ほとんどが自分達の教会のため、だけに使っているというデータです。

イエス様はすべての人にこの福音を裁きを悔い改めを救いを世界中に伝えなさいって言ったのに、私たちはほとんどの時間とほとんどのお金を自分のために使っているのが現実です。

誰が伝えるのか?私たちです。先にこの希望の福音を知っている僕らが全ての人に伝える役目を与えられています。


いかに自分の考えが内向きだったか、信仰生活が自分のための賛美、自分の教会の成長のため、もちろんそれも大事だけど、でも、イエス様の願い、神様の願いは、全ての人が救われること、殺されないこと、回復することです。

創世記から黙示録まで、全体を通して教えているのは神様の国の回復です。

これは決定事項です。必ずそうなります。世界はすべて神様のものとなります。邪悪なものは全部滅ぼされます。だから、この間に、まだ裁きが来る前に福音を救いを、伝えなさいと言われています


伝えるのは僕らの役目です。キリストの宣教は僕ら機関である教会の戦況です。用いられますように。全ての人が福音を聞き、神様のところに戻り救われますように。