2024年10月3日木曜日

イザヤ21章

 イザヤ21章


預言者イザヤの時代、最も強く栄えていた帝国がバビロンです。バビロンは高い城壁に囲まれていて、自分は絶対に安全だと思い、エルサレムから奪ってきた主の金の器で宴会をし、飲みながら金、銀、青銅、鉄、木、石の神々を賛美し歌い、イスラエルの神様を笑っていました。その様子がダニエル5章に書かれています。



(ダニエル5章2-4節)

2ベルシャツァルは、酒の勢いに任せて、父ネブカドネツァルがエルサレムの宮から持ち出した金や銀の器を持って来るように命じた。王とその貴族たち、および王の側室たちや侍女たちがその器で飲むためであった。

3そこで、エルサレムの神の宮の本殿から持ち出した金の器が運ばれて来たので、王とその貴族たち、および王の側室たちや侍女たちはその器で飲んだ。

4彼らはぶどう酒を飲み、金、銀、青銅、鉄、木、石の神々を賛美した。



この国には絶対に逆らうことができず、世界全体が恐れおののいていました。ところが神様は「万軍の主」です。(10)どんなに強い国も神様によって裁きを受けます。神様はメディアとエドム(ペルシャのこと)を使ってバビロンを滅亡させますが、それが起こる200年も前からそれを預言していました。



(1-4)

1,海の荒野についての宣告。ネゲブに吹きまくるつむじ風のように、それは荒野から、恐ろしい地からやって来る。

2,厳しい幻が私に示された。裏切る者は裏切り、荒らす者は荒らす。エラムよ、上れ。メディアよ、囲め。すべての嘆きを私は終わらせる。

3,それゆえ、戦慄が私の腰に満ち、子を産む時のような苦しみが私をとらえる。私は心乱れて、聞くことができない。恐ろしさのあまり、見ることができない。

4,私の心は迷い、戦慄が私を襲った。私が恋い慕ったたそがれも、私をおびえさせるものとなった。



バビロンは神様によって突然滅ぼされます。それが確実であることをイザヤは前から預言していました。宴会が盛り上がる真っ最中に見張りがバビロンの終わりを告げ、神々の偶像が地に砕かれることを預言しています。



(5-10)

5,彼らは食卓を整え、座席を並べて、食べたり飲んだりしている。「立ち上がれ、首長たち。盾に油を塗れ。」

6,主は私にこう言われた。「さあ、見張りを立たせ、見たことを告げさせよ。

7,戦車や二列に並んだ騎兵、ろばに乗る者やらくだに乗る者を見たなら、よく注意を払わせよ。」

8,その人は、獅子のように叫んだ。「主よ。私は昼はいつも見張り場に立ち、夜ごとに自分の物見のやぐらについています。

9,見てください。今、戦車や兵士、二列に並んだ騎兵が来ます。彼らは互いに言っています。『倒れた。バビロンは倒れた。その国の神々の、すべての刻んだ像も地に打ち砕かれた』と。」

10,踏みにじられた私の民、打ち場の私の子らよ。イスラエルの神、万軍の主から聞いたことを、私はあなたがたに告げたのだ。



この「倒れた。バビロンは倒れた。」(9)という表現は、当時のバビロンの滅亡のことを預言しています。そしてもう一つ、バビロンのことを黙示録は「大バビロン、淫婦たちと地上の忌まわしいものの母」と言います。(黙示録17.5)バビロンがイスラエルの神様をバカにしながら宴会をしていたように、黙示録にあるバビロンも「この女が聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。」とあります。(黙示録17.6)クリスチャンたちを苦しめ、殺し、世界をお金と肉欲で支配する悪そのものです。そしてそれは神様に滅ぼされます。



(黙示録18.2-3)

2,彼は力強い声で叫んだ。「倒れた。大バビロンは倒れた。それは、悪霊の住みか、あらゆる汚れた霊の巣窟、あらゆる汚れた鳥の巣窟、あらゆる汚れた憎むべき獣の巣窟となった。

3,すべての国々の民は、御怒りを招く彼女の淫行のぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と淫らなことを行い、地の商人たちは、彼女の過度のぜいたくによって富を得たからだ。」


今も神様に敵対する霊的な力がこの世界を支配しています。「空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊」と聖書は言います。(エペソ2.2)悪魔も悪霊も僕らを攻撃しようとしています。イエス様でさえ攻撃されました。(マタイ4章)でも、それらは倒されます。すでに負けることが決まっています。バビロンに象徴される悪の力はあります。本当の神様に挑戦し、イエス様の働きを妨害する力はあります。でも大丈夫です。「私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません。迫害されますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。」(2コリント4.8)


大丈夫です。バビロンは倒れます。



Amazing Grace ケビン、ジェシカと演奏させてもらいました。

Amazing Grace ケビン、ジェシカと演奏させてもらいました。
本当に素敵な二人です。みくに祭りにて





 

2024年10月2日水曜日

イザヤ20章

 イザヤ20章


この世には、消えていく誇りと、消えない誇りがあります。消えていくものを誇りとする人は惨めです。神様は聖書を通して実例を見せてくださっています。僕らの人生が恥で終わらないためです。


イスラエルは、強いエジプトと同盟を結んでいることを自慢し、エジプトの強さをまるで自分の誇りのように思っていました。その結果は惨めです。エジプトは、アッシリアに滅ぼされ裸で歩かせられて連行されます。神様以外を求める人の最後はそのようです。



(3節から6節)

3,主は言われた。「わたしのしもべイザヤが、エジプトとクシュに対するしるし、また前兆として、三年間裸になり、裸足で歩いたように、

4,そのように、アッシリアの王はエジプトの捕虜とクシュの捕囚の民を、若い者も年寄りも裸にして、裸足のまま、尻をあらわにして、エジプトの恥をさらしたまま連れて行く。

5,人々は、クシュを頼みとし、エジプトを誇りとしていたゆえに、打ちのめされ、また恥を見る。

6,その日、この海辺の住民は言う。『見よ。アッシリアの王の前から逃れようと、助けを求めて逃げて来たわれわれの拠り所がこの始末だ。われわれは、どうして助かることができるだろうか』と。」



どんなに強い国も人も軍事力も技術も神様ではありません。この世の力に頼る人は逆に恥を受けます。



(31章1節、3節)

1,ああ、助けを求めてエジプトに下る者たち。彼らは馬に頼り、数が多いといって戦車に、非常に強いといって騎兵に拠り頼み、イスラエルの聖なる方に目を向けず、主を求めない。

3,エジプト人は人間であって神ではなく、彼らの馬も肉であって霊ではない。主が御手を伸ばされると、助ける者はつまずき、助けられる者は倒れて、皆ともに滅び果てる。



僕らの助けは神様です。なくならない誇りは神様を頼る人に与えられます。神様以外に頼るものがない貧しい人、悲しむ人、飢え渇く人は祝福されているとイエスはおっしゃいます。神様だけを求めやすいからです。(マタイ5章)神様は、この世の知恵ある者とか強い者を恥じ入らせるために、わざわざ弱いものを選んでいます。



(コリント人への手紙 第一 1章26~27節)

兄弟たち、自分たちの召しのことを考えてみなさい。人間的に見れば知者は多くはなく、力ある者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。

しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。



神様は「わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」とおっしゃいます。(2コリント12.9)弱い時、時間がない時、お金がない時、力が出ない時はむしろ神様の時です。神様に頼り、神様の救いと力を体験できるからです。「わたしを待ち望む者は恥を見ることがない。」(イザヤ49.23)「キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」(2コリント12.9)弱い時こそ最強の時です。今日も大丈夫です。「ハレルヤ」は直訳すると、「主を誇れ」です!

イザヤ19章

 イザヤ19章


痛みがひどくなければ病院に行かないように、僕らは苦しみがなければ神様を求めないようです。それまでは自分の方法や力でなんとかしようとしがちです。でも、僕ら人間はもともと神様と生きるように作られています。神様はエジプト人に苦しみを与えることを預言していますが、それはただ懲らしめるためでなく、彼らが悔い改めて神様に癒され、しかも祝福するためです。



(20節から22節)

彼らが虐げられて主に叫ぶと、主は彼らのために戦い、彼らを救い出す救い主を送られる。

そのようにして主はエジプト人にご自分を示し、その日、エジプト人は主を知る。そしていけにえとささげ物をもって仕え、主に誓願を立ててこれを果たす。

主はエジプト人を打ち、打って彼らを癒やされる。彼らが主に立ち返れば、彼らの願いを聞き入れ、彼らを癒やされる。



試練は苦しいけれども必要なことです。神様は試練を通して、僕らをきよくし、癒し、祝福しようと願っておられます。試練の先に神様が次のように言われることが書かれています。



(25)

万軍の主は祝福して言われる。「わたしの民エジプト、わたしの手で造ったアッシリア、わたしのゆずりの民イスラエルに祝福があるように。」



(1ペテロ1章6節-7節)

今しばらくの間、様々な試練の中で悲しまなければならないのですが、

試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします。



偶像礼拝するエジプトに神様は多くの苦しみを与えました。1つは内部分裂です。「わたしはエジプト人を駆り立てて、エジプト人にはむかわせる。彼らは、兄弟は兄弟と、友人は友人と、町は町と、王国は王国と争い合う。エジプトの霊はその中で衰える。」とあります。(2節から3節) それでも彼らは神様に戻ることなく、彼らは偽りの神々や死霊、霊媒や口寄せに伺いを立てました。(3節)


2つ目は、恐ろしい支配者(4節) 、3つ目は恐ろしい自然災害(5節から9節)、そして、4つ目はリーダーたちに「混乱の霊を吹き入れられ」「酔いどれが吐きながらよろめくように」国が混乱し弱くなっていくことです。(11節から14節)


苦しみは僕らが神様に戻るためです。神様は愛する人の浮気や二股を許さない方です。試練は神様の癒しと祝福のためです。神様から離れていることに気づかせ、悔い改めて祝福されるための神様の方法です。


放蕩息子はすべてのお金を失い、食べ物がなくなってやっと実家に戻り「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。」と謝りました。そんな息子をお父さんは走りよって受け入れて、愛し、祝福します。(ルカ15.11-24)

苦しい時、他の方法を考える前に、まず神様のところに行きましょう。祈り、求め、手放すべきことが示されたら手放しましょう。神様は僕らを癒し、祝福したいと願っておられます。