エレミヤ1章1-19節 「若いからと言って恐れるな」礼拝メッセージ
●恐れるな
今日はこの後橋本匡生くんの献児式をします。
家族と教会みんなでこの子の祝福を祈り、そして、匡生くんをも一度神様のみ手に委ね、神様に信頼しながら育てていくことを祈る日です。
誰も、親になる経験を積んでから親になる人はいません。立派な親になってから親になる人はいません。
全員、未経験のまま親になります。匡生くんも人生初めて。そして親もゼロからスタートです。
僕らは未経験のことを恐れます。自分には無理と思います。
教会の働きも同じです。自分は牧師になって説教するなんてあり得ない、絶対無理、と思っていました。
阿部先生のような立派な人はいいけど、僕は絶対に向いてない、そもそもそんな器ではないからムリ、と思っていました。
みなさんがこれは無理、あれは無理と思うことはなんでしょう。
その理由はなんでしょう。
イエス様のことを伝えるなんて無理、友達を教会に誘うなんて無理、神様のことを話しをするなんて無理、みんなそう思います。
旧約聖書を代表する預言者モーセも最初お断りしました。預言者イザヤも自分の汚れを考えるなら、ふさわしくないと思いと思って恐れました。そして、今日読んだ預言者エレミヤも無理だと言っています。
彼はある日、神様から突然、預言者になる、と言われます。
いや預言者として定められていた、と言われます。
"次のような主のことばが私にあった。
「わたしは、あなたを胎内に形造る前からあなたを知り、あなたが母の胎を出る前からあなたを聖別し、国々への預言者と定めていた。」"
エレミヤ書 1章4~5節
彼はすぐに無理です、わかりません。できません、と答えます。
"私は言った。「ああ、神、主よ、ご覧ください。私はまだ若くて、どう語ってよいか分かりません。」
主は私に言われた。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすすべてのところへ行き、わたしがあなたに命じるすべてのことを語れ。"
エレミヤ書 1章6~7節
彼が何歳だったか分かりませんけど、とにかく若く経験もなく、神様の預言者なんてことはできないと言います。
そんな彼に神様は何度もわたしがことばを与え、わたしが力を与えるから恐れるな、と繰り返します。
エレミヤは怖いのです。神様の言葉を伝えたら、相手はどう思うだろう、と恐れます。
私たちももそうです。そんな彼に、また僕らにも神様が言われます。
"彼らの顔を恐れるな。わたしがあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。──主のことば。」
そのとき主は御手を伸ばし、私の口に触れられた。主は私に言われた。「見よ、わたしは、わたしのことばをあなたの口に与えた。"
エレミヤ書 1章8~9節
神様はエレミヤに恐れてはならないと言います。
同じように、イエス様も弟子たちに恐れてはならない、と何度もおっしゃいます。誰が数えたのか、聖書には、恐れるな、心配するな、という教えが365回書かれているそうです。
恐れは私たちの足が動かないようにします。体が思うように動きません。声が出ないようにします。人を縛って動けなくするのが恐れです。
だから神様は恐れるな、と言います。
理由は神様が一緒にいてくれるから、そして、必要な言葉も力も与えてくれるからです。後で詳しくそれを読んでいきます。
神様に勝てる人はいないし、すでに勝っている神様があなたの味方だから、一緒にいるから、力を与えるから、だから恐れるな、と繰り返します。
エレミヤが預かった神様からのメッセージは滅びのメッセージです。
神様の裁きのメッセージを言わなきゃなりません。
みんなが好きな話ならいいんだけど、例えば、励ましだけ、平安だけ、愛だけ、のメッセージはいいんだけど、裁きがある、破滅がある、と伝えなければなりません。言いづらいことです。
この時代、ユダとエルサレムは堕落に向かっていました。最終的にはバビロンという大国に国が丸ごと滅ぼし尽くされる、破滅に向かう時代でした。
そしてそれは、神様の裁きでした。裁きがあるというメッセージをエレミヤは語らなければなりません。
●現実となる神様のことば
神様直接大きなスピーカーで空からこの国は滅びるとかメッセージを与えるのじゃなくて、預言者を使って、普通の弱い人間を通して語られます。
"見なさい。わたしは今日、あなたを諸国の民と王国の上に任命する。引き抜き、引き倒し、滅ぼし、壊し、建て、また植えるために。」"
エレミヤ書 1章10節
6個のうち4つは裁きと破滅です。
そして、その後で回復です。
神様の言葉が事実になります。神様はことばだけで世界を作って言葉で歴史を動かします。
この預言の言葉は本当に実現します。
エルサレムとユダに破壊のメッセージを語らなければなりませんでした。そして、エレミヤが語った通りに、神様の言葉の歴史的な事実になります。
これが本当になったことは、聖書の他の文献、特に侵略した側のバビロンの資料にも残っています。
神様の御言葉はそのまま現実になります。
神様のことばは今も生きて働きます。
国が滅びるぞ、そんな話を伝えるのは誰もやりたくないと思います。でも神様から選ばれ、任された仕事です。エレミヤは何度も辞めたいと思ったと想像します。でも彼はやります。神様が恐れるな、と仰るからできるのです。
2-3節を読むと、これが本当に歴史的な事実だったことだとわかります。
"このエレミヤに主のことばがあった。ユダの王、アモンの子ヨシヤの時代、その治世の第十三年のことである。
それはさらに、ユダの王、ヨシヤの子エホヤキムの時代にもあり、ユダの王、ヨシヤの子ゼデキヤの第十一年の終わりまで、すなわち、その年の第五の月、エルサレムの民の捕囚まで続いた。"
エレミヤ書 1章2~3節
①最初はヨシヤという王様の時代です。ヨシヤという王様がエルサレムを支配していた時は、素晴らしい時代でした。ヨシヤ王は、宗教改革をして、とにかく王様も国民も、神様一筋で行こうという時代です。
預言者としてもやりやすかった時代がスタートです。
②でもその後が大変です。ヨシヤが死んだ後、新しい王様、「エホヤキムの時代」になりました。彼は神様を嫌い、神様の言葉を嫌う人です。エレミヤは神様からの言葉を読み上げました。するとエホヤキムは目の前でその神様の言葉の巻物を火の中に投げ入れて燃やしました。その後、エレミヤは命を狙われるようになります。
③ゼデキヤ王の時代です。神様はエレミヤを通してゼデキヤにメッセージを伝えましたけども、彼も言うこと聞きません。
この時代、エレミヤは何度も逮捕監禁され、ある時は殴られ、ある時は井戸の中に落とされて放置されて殺されかけます。
それでも彼は神様からのメッセージを王様に伝えます。敵であるバビロンに仕えなさい、と。神様からの言葉を伝えます。でも、ゼデキヤ王は言うこと聞きませんでした。
神様がおっしゃった通りにこの国は滅んでいきます。
●滅んでいく人々に神様の言葉を伝えることの大切さ
どの時代も、人々は神様のことばより自分の考えです。神様のことばを聞いたとしても、自分の都合で、好みで、自分に合うようところだけ、良いところだけ、都合の良いところだけ聖書に聞こうとします。それがその時代の人たちの神様への態度でした。
今も人は聖書の言葉をここは、好き、ここは嫌い、と選びます。聖書の言葉をそのままする牧師よりも、いい感じのところだけ、都合のいいところだけを話してくれる先生を求めます。でも、聖書は都合の良いことだけつまみ喰いをする本でなく、すべてが生きて働く神様の霊感されたことばです。
(2テモテ3.16)
聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。
教えと戒めと矯正と義の訓練をしてくれるのが聖書です。耳の痛い話でもそれによって悔い改めて新しくされます。それが成長です
私たちはずれていきます。神様じゃなくて自分の都合で神様さえ動かしたいと思います。いつも自分が神様より上になりたいし、自分が中心でいたいし王様なりたいのです。
でも、そんなふうに高ぶってズレていく、僕らを諦めず、教え続け、矯正してくれるのが聖書です。傲慢になっておかしくなる僕らにちゃんと教え、戒めてくれます。御言葉は私たちを正しく導いてくださいます。
大事なことは、自分が大きくなっていることを認めることです。聖書は僕らの傲慢さを教えてくれます。そして矯正してくれます。
滅んでいく世界に対して、神様の言葉をちゃんと伝える使命は僕らにも与えられています。
●あなたの役目は何ですか?
エレミヤは自分は無理、若すぎるし、何を話したらいいかわからない、って言いましたが、神様は恐るな、私が共にいる、私が言葉を与える、とおっしゃいます。
みんな神様から目的を持って役目が与えられて生まれてきます。匡生くんもそうです。エレミヤもそうした。
(5節)
「わたしは、あなたを胎内に形造る前からあなたを知り、あなたが母の胎を出る前からあなたを聖別し、国々への預言者と定めていた。」
エレミヤは生まれる前から預言者と定められていました。
皆さんが神様から任命されて、この世界でするべき事はなんですか?
職業とも重要だけど、それ以上にその職業として神様が私に何をさせようとしておられるかそれを神様に聞いていくのはとっても重要です。
神様から与えられたこの性格、能力、賜物を使って、神様が私の人生で何をしようとしておられるか、神様から役目を与えられている意識が大事です。職業は神様がこの世界であなたに与えてくださった任務です。
神様は人間を使わなくてもなんでもできるのに、人間を愛し、用いて、人間と一緒にこの世界を愛しおさめ、滅んでいく世界の中で、人々を救おうとされる方です。
神様から与えられた役目としての教師、神様に誠実な自動車の整備士、神様から与えられた役目としての大工さん、看護師さん、店員さん、妻としての役目、夫としての役目です。
世界は終わりに向かっています。聖書はその印として、愛は冷たくなるし、戦争や地震は起こるし、人々はますます傲慢になっていくと言います。
そんなこの世界の中で神様が僕らに願っておられるのは、神様のことばを伝え、それに忠実に生きることです。愛のない世界で神様の愛と救いを表すことです。
どの職業や立場が良いということではなくて、その立場の中で神様から与えられた役目を誠実に伝え、果たすことです。
どんな立場にも神様からの言葉があります。
神様が一空にお父さんとしての役目を与え、真季にお母さんとしての役目を与えてくださいました。
そして、どのようにお父さんをするのか、どんなお母さんになるのか、神様は聖書を通してことばを預け教えてくれています。
家庭を作るのは神様です。でも、実際にそれをするのは僕ら人間です
詩篇127篇1節
主が家を建てるのでなければ建てる者の働きはむなしい。
神様が家庭を作ってくれます。子どもたちを守り育ててくれるのは神様です。
だのに、神様だけでなんでもできるのに、神様は人間に子育てを任せ、育て、守る役目を与えてくださいます。
神様の子どもたち、神様から預かった賜物、報酬、喜びです。それを預かった親として、子どもを神様の教えとみことばで育てます。
エペソ6章4節
父たちよ。自分の子どもたちを怒らせてはいけません。むしろ、主の教育と訓戒によって育てなさい。
大事なのは人間の力や言葉でなく、神様の教育と訓戒で育てることです。
親に怒ってる子どもはたくさんいます。
40歳になっても、50歳になっても、子供の時にうけた傷、怒り、悲しみで苦しんでいる人は大勢います。
そんな暗い世界だからこそ、神様を知っている人には特別な役目があります。
自分の感情や考えで、子供を傷つけるのでなく、悲しませるのでなく、怒らせるのでなく、自分の力でなく、神様の言葉で育てなさい、です。
どんな立場でも大事なのは、その役目を神様の言葉によって誠実に忠実に果たすことです。
自分ではできないけど、神様から言葉をもらって、力をもらって、愛をもらってさせてもらう生活。神様がさせてくださいます。
僕らもエレミヤと同じように、神様がこの世界で、この家庭で、学校で、何をさせようとしておられるのか、何を語ったらいいのか、どのように役目を果たしたらいいのか、聞いていく必要があります
エレミヤは言いました。
"私は言った。「ああ、神、主よ、ご覧ください。私はまだ若くて、どう語ってよいか分かりません。」
主は私に言われた。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすすべてのところへ行き、わたしがあなたに命じるすべてのことを語れ。"
エレミヤ書 1章6~7節
神様が与えようとしていることに対して、若いかどうかそしてまた言葉語る経験があるかないかは関係がありません。なぜなら、神様がしてくださるからです。
●自分を見るか、神様に信頼するか
無理です、と断る人はみんな自分を見る人です。
エレミヤもう経験もないし若いから無理といいます。みんな自分の能力を見なら無理です。できない理由は自分の働きだと思っているからです。
でも、神様は、あなたの働きをするんじゃなくて、神様があなたを用いると繰り返しています。
主語は「わたし」神様です。
"彼らの顔を恐れるな。わたしがあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。──主のことば。」
そのとき主は御手を伸ばし、私の口に触れられた。主は私に言われた。「見よ、わたしは、わたしのことばをあなたの口に与えた。
見なさい。わたしは今日、あなたを諸国の民と王国の上に任命する。」"
エレミヤ書 1章8~10節
僕らは自分を見過ぎです。私がこうだから、ああだから、と言いがちです。
信仰によって歩むっていうのは、あなたの力ではなく、神様の力によって歩むと言うことです。あなたの能力ではなくて、神様の無限の豊かさ、その権威によって歩むということです。
こないだリバーシップスクールに来てくれた辻本先生は神様を信頼することをわかりやすく教えてくれました。
僕らは爪楊枝みたいに小さくて折れやすいものです。
それに比べて神様は五寸釘のように、絶対に折れない、強い方です。
僕らはつまようじは弱くても、ゴスンクギにピッタリくっついれば絶対に折れません。
つまようじが弱くて、ゴスン釘は絶対に折れないからこの神様に硬くくっついていれば大丈夫。問題ありません。これが神様に信頼して歩むということです。神様は五寸釘よりももっと強く絶対に折れることのないかたです。信仰とは、自分自身の弱さから目を離して、神様に目を向けると言うことです。
僕らのクセが悪い癖はいつも自分に目を向けることです。周りの状況や自分の小さな体験だけで判断しようとすることです。
モーセは若い時、自分はみんなを導くんだと張り切っていたけど、誰も言うこと聞いてくれなかったと体験があります。そういう悲しく傷ついた体験に目を向けると、どうせ自分はまた失敗する、怖い、と思います。
でも、信仰とは、自分があの時こうだった体験に目を向けるのではなく、神様に目を向けることです。これが信仰によって歩むということです。
※もっと良い人になったらやる?
さて、教会で聖書のメッセージする人は、ある程度完全にならないとダメですか。
何かの仕事、奉仕する人は立派になってからでなければならないですか。だったら私たちは誰もできません。親にもなれません。神様から見た合格点に達する事は無いからです。
もっと良い人になったらクリスチャンになれるのでしょうか?
もっと立派になったら洗礼を受けるのですか?
どう答えますか?だとしたら、誰も洗礼受けることができないと思います。
欠点だらけで、あれもこれもやらかした身です。でも神様が用いようとしてくださって、僕らに役目を与え、力を与え、ことばを与えてくださいます。
罪を犯し、失敗し、神様からも人からも責められる自分はキリストがそれを引き受け、十字架で身代わりに処刑を受けて赦してくださいました。
今僕らが生きているのは、復活したキリストと一緒に生きているのです。イエス様が一緒です。このイエス様に信頼して、語るべきことを、やるべきことを、させてもらう、それだけです。
他人の目が気になるのは自分に注目している時です。
僕らは人を恐れる必要がありません。ただ、神様に信頼し、神様の御性質を見上げていればいいだけです。
―――
質問です。
あなたの恐れは何ですか?
みなさんが躊躇していること、進めなくなっているてことはなんでしょう。
例えば、将来の不安とか、ある人が怖いとか、ある状況になると怒りやすくなるとか、お金のことになるとイライラするとか、人によって恐れたり怒ったり不安になるジャンルがあると思います。
その不安の理由はなんでしょう。
それについて、神様があなたにおっしゃってるみ言葉はなんでしょう。
ーーー
神様の言葉がピンこない人はいます。
その人は、ぜひ、今、時間をとって神様に求めましょう。
「神様、みことばを与えてください。私は、( )のことについて、どうして恐れているのか、怒るのか、不安なのかわかりません。神様のことばをください。」
今日、神様の言葉を聞きましょう。神様の言葉を求めましょう。
すべきことをさせてもらう、力を求めましょう。
私たちの人生を作るのは神様です。
0 件のコメント:
コメントを投稿