エレミヤ2.20-37
「これがないと生きていけない」と思うものがたくさんあります。お金はもちろん、健康が、人とのつながりが、平和が、良い環境が、など、人は命を守ってくれるものを求めます。でももっと求めるべきはそれら良いものを与えてくださる神様です。僕らを生かし、守り、幸せにしてくれるのはお金やモノや人ではなくて、この世界を造り、今も支配しておられる神様です。神様は良いものを与えてくださいます。
"すべての良い贈り物、またすべての完全な賜物は、上からのものであり、光を造られた父から下って来るのです。"
ヤコブの手紙 1章17節
"神ご自身がすべての人に、いのちと息と万物を与えておられるのですから。"
使徒の働き 17章25節
…だのに、僕ら人間は神様でないものばかりを求めるようです。当時のユダもエルサレムも本当の神様を捨てて偶像を夢中になって求めてました。まるで発情期の動物のように、です。
"どうしてあなたは、「私は汚れていない。バアルの神々に従わなかった」と言えるのか。谷の中でのあなたの行いを省み、自分が何をしたかを知れ。あなたは、あちらこちら道を走り回るすばやい雌のらくだ。
また、欲情に息あえぐ荒野に慣れた野ろばだ。さかりのとき、だれがこれを制し得るだろう。これを探す者は苦労しない。発情の月に見つけることができる。
裸足にならないように、喉が渇かないようにせよ。しかし、あなたは言う。「あきらめられません。他国の男たちが好きなので、私は彼らについて行きます」と。"
エレミヤ書 2章23~25節
偶像は木や石で作ったものです。それを慕い求めることには何のいいこともありません。それで繁栄したり幸せになったりすることはありません。それは神様への裏切りです。神様は偶像を嫌い、慕い求める彼らを怒ります。偶像は神様によって破壊されます。
"彼らは木に向かって「あなたは私の父」、石に向かって「あなたは私を生んだ」と言っている。実に、彼らはわたしに背を向け、顔を向けない。それなのに、わざわいのときには「立って、私たちを救ってください」と言う。"
エレミヤ書 2章27節
"主が、あなたの拠り頼むものを退けられるので、あなたが彼らによって栄えることは決してない。"
エレミヤ書 2章37節
神様は最初から僕らを愛し、美しくし、幸せにしようと計画しておられます。まるで花嫁を美しいドレスや飾りで飾ってくれるかのようにです。花嫁もまた自分を大事にしてくれる神様を喜び、与えられた飾りを喜びます。この神様との関係を忘れるのが人間のバカなところです。
"おとめが自分の飾り物を、花嫁が自分の飾り帯を忘れるだろうか。しかし、わたしの民はわたしを忘れた。その日数は数えきれない。"
エレミヤ書 2章32節
どんなにおかしくなってしまっても戻れます。自分がおかしくなっていたことを認めることです。神様以外を求めていたことを告白し、神様に謝ることは祝福の道です。逆に、「私は罪を犯してはいない」というのは不幸への道です。
"あなたは言う。「私は潔白だ。確かに、御怒りは私から去った」と。あなたが「私は罪を犯してはいない」と言うので、今、わたしはあなたをさばく。"
エレミヤ書 2章35節
今日も神様以外に夢中になっていたことを正直に認めましょう。もう一度神様を第一としましょう。方向を変えましょう。全ての良いものを与えてくださるのは神様です。「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」(マタイ6.33)
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