2026年1月2日金曜日

民数記1.47-2.34

 民数記1.47-2.34


学校でも会社でも教会でも組織やルールが好きな人と、嫌いな人に分かれます。自由にやりたい人は、自分の気分、自分のペースなど、自分の都合で動きたがります。逆に組織好きな人も、ラクだから、安全だから、効率いいから、など、意外と自分の都合のためだったりします。


神様は明らかに組織を重んじ、秩序を重んじるようにおっしゃいます。…ですが、それは僕らの快適さとか気分のためではありません。組織や秩序は神様のご臨在と御心が中心になるためのものです。そして、1人も脱落することなく、神様の恵みと愛の中を生きるためものです。


神様は神様を恐れる力ある人たちをリーダーにしてピラミッド型の組織を作るように言われました。(エジプト記18章)、何もない荒野で宿営したりする時も、家族ごとグループごとに人数を数え、神様とお会いする会見の天幕を中心にして、その周りにそれぞれの場所が定められれています。



"主はモーセとアロンに告げられた。

「イスラエルの子らは、それぞれ自分たちの旗のもと、自分の一族の旗じるしのもとに宿営しなければならない。会見の天幕の周りに、距離をおいて宿営しなければならない。"

民数記 2章1~2節



大事なのは「会見の天幕の周りに」宿営することです。昼間は雲の柱がこの天幕の上にとどまり、夜は火の柱がこの天幕の上にとどまりました。神様がイスラエルの真ん中におられました。人々は朝起きて宿営の中心を見ると、天幕の上に雲の柱がとどまっているのが見えました。日が暮れると今度は火の柱がそこにとどまっているのを見ることができました。

いつもこの神様のご臨在を中心に考えるように神様は組織も場所も定められます。この天幕の東側は宿営するユダ、イッサカル、ゼブルン部族の場所がありました。彼らの人数もきちんと数えられていました。



"ユダの宿営に属し、その軍団ごとに登録された者の総数は、十八万六千四百人。彼らが先頭を進まなければならない。"

民数記 2章9節



同じように、神様を中心として、南側にルベン、シメオン、ガド部族がいました。彼らもまた1人残らず数えられていました。



"ルベンの宿営に属し、その軍団ごとに登録された者の総数は、十五万一千四百五十人。彼らは二番目に進まなければならない。"

民数記 2章16節



同じように西側の部族、そして北側の部族と続きます。でも、やはり大事なのは神様がご臨在される会見の天幕です。

レビ人は特別にこの天幕で奉仕するための専門職でした。


"次に会見の天幕、すなわちレビ人の宿営が、これらの宿営の中央にあって進まなければならない。宿営する場合と同じように、彼らはそれぞれ自分の場に就いて、自分の旗に従って進まなければならない。"

民数記 2章17節


レビ人たちは、たとえ戦争があっても戦いにいかず、神様の近くにいて祈り礼拝することに専念した人たちです。また人々が罪を犯した時にも神様の裁きが下らないように赦しを求めた人たちです。神様にお仕えするレビ人は、イスラエルの中心です。

弱くて罪を犯しやすいイスラエルの人たちに一番必要なのは、神様の憐れみ、赦し、そして神様の力でした。レビ人は人々の代表として専門的に取り分けられ、昼も夜も祈るものとされました。



"「レビ部族だけは、ほかのイスラエルの子らとともに登録してはならない。また、その頭数を調べてはならない。

あなたは、レビ人に、あかしの幕屋とそのすべての用具、およびすべてそれに付属するものを管理させよ。彼らは幕屋とそのすべての用具を運び、これに仕え、幕屋の周りに宿営しなければならない。"

民数記 1章49~50節



"レビ人は、あかしの幕屋の周りに宿営しなければならない。わたしの怒りがイスラエルの会衆の上に臨むことがあってはならない。レビ人はあかしの幕屋に関わる任務に当たる。」"

民数記 1章53節



イスラエルが敵に攻撃された時、モーセは戦いに行かず、ただ丘の上で祈りに専念しました。「モーセが手を高く上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を下ろすとアマレクが優勢になった。」(出エジプト記 17章11節)そのように、この国で一番大事なことはは礼拝であり祈りでした。神様が全てをご支配しておられ、私たちはその恵みの中で生きている、という信仰の証です。


これは今も僕らに適用できます。

教会に秩序やルールは必要ですが、理由はそれはラクで効率的だからではなく、神様をいつも中心にするためです。神様の御心を聞き、神様を礼拝し、神様に従うことための組織です。全ての出来事が神様の支配の中にあることを覚え、神様の恵みと力が1人もこぼれることなく、全員に行き届くためのもの組織です。


神様がイスラエルのど真ん中に天幕を張って栄光と力を現してくださったように、私たちの中に天幕を張って住んでおられます。(ヨハネ1.14)僕らは、この神様を中心とするために教会の秩序や組織を考えます。神様の名前で呼ばれている子どもたちが一人も脱落することなく、この恵みにとどまるためです。


組織は神様のためのものです。快適さとか、効率とか、ワガママのためにあるものではありません。神様の愛と恵みの中を生きるための賜物です。ハレルヤ!

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