民数記4.21-49
イスラエルの200万人以上が40年かけて荒野を移動したとき、神様がおられる会見の天幕も移動しました。移動のたびに解体し、次の場所が決まったらまた組み立てる、その繰り返しです。聖なる契約の箱、祭壇、器具、幕、柱や台座、外庭の幕と台座など、それぞれの担当箇所はレビ人の中で細かく決められていて、作業に関わる30-50才の男性は全員の名前が登録されました。
この作業分担と内容と登録は「主の命により」「主によって」行われた、と聖書は繰り返します。(37、45、41、49節)人が作った仕組みではありません。
"これはケハテ人諸氏族で登録された者であって、会見の天幕で奉仕する者の全員であり、モーセを通して示された主の命によって、モーセとアロンが登録した者たちである。"
民数記 4章37節
"これはゲルション人諸氏族で登録された者たちで、会見の天幕で奉仕する者の全員であり、主の命により、モーセとアロンが登録した者たちである。"
民数記 4章41節
"これはメラリ人諸氏族で登録された者であり、モーセを通して示された主の命により、モーセとアロンが登録した者たちである。"
民数記 4章45節
"彼らは主の命により、モーセを通して任じられ、それぞれその奉仕とその運ぶ物を受け持った。主がモーセに命じた、主によって登録された者たちである。"
民数記 4章49節
天幕の奉仕は自分で決めたものではありません。神様の采配です。奉仕分担は神様からの任命制でした。
現在は会見の天幕はありません。僕らの体が聖霊の住まいだし、二人でも三人でもイエス様によって集まるならそこが聖なる宮です。そして二人以上が集まる教会にも奉仕分担があります。が、それは承認欲求のためでも、自己満足のためでもなくて、御霊が主権を持って与えてくださった役目です。
(1コリント12.11-12)
同じ一つの御霊がこれらすべてのことをなさるのであり、御霊は、みこころのままに、一人ひとりそれぞれに賜物を分け与えてくださるのです。ちょうど、からだが一つでも、多くの部分があり、からだの部分が多くても、一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。
御霊によって与えられた役割か、肉の欲や自己満足か、以下の特徴でわかります。御霊によって与えられた役割には愛、喜び、平安、寛容、親切が伴います。(ガラテヤ5.22)不安や大変さはあっても御霊が与えてくださる忍耐や寛容さも伴います。逆に、肉による奉仕は疲れ、焦り、緊張、イライラが特徴です。
奉仕分担は僕らが決めることでなく「主の命により」「主によって」与えられるものです。
実際には、みことばに聞いているか、祈りの中で安心して与えらたかどうかで判別できます。
平安があるか、愛があるか、喜びがあるか、でもわかります。
教会の仲間との相談や協力があるか、でもわかります。
人の意志や努力によるのではなく、神様によるものです。
みことばと御霊によらないで教会の奉仕分担を決めると本人は疲れ、イラつき、周りも巻き込まれて大変です。「必要だから埋めなきゃ」と思わなくても大丈夫です。空席のままでOKです。
今日、自分がしようとすることが神様からのものか、肉からのものか、考えてみましょう。
また逆に、神様が召しているのに、賜物を与えているのにやってないことがあるか、考えてみましょう。
御霊は、みこころのままに、一人ひとりそれぞれに賜物を分け与えてくださるのです。ハレルヤ!
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