マイクもスピーカーもない時代、放送も携帯もない時代に大勢の人たちに同時に合図を送るのは「ラッパ」でした。神様は出発の合図、集合の合図、そして戦いに出る合図を全てラッパで行うように言われています。
(1-2)
主はモーセにこう告げられた。
「銀のラッパを二本作りなさい。それを打ち物作りとしなさい。あなたはそれを用いて会衆を召し出したり、宿営を出発させたりしなければならない。
(8)
祭司であるアロンの子らがラッパを吹かなければならない。これはあなたがたにとって、代々にわたる永遠の掟である。
放送する人が正しい情報を発信するように、ラッパを吹く祭司は責任重大です。それぞれの吹き方の違いを明確にしなければなりません。
①2本のラッパの音→全員集合 ②一本のラッパの音→族長だけ集合 ③警報のように吹く(多分、短くプロロー!)→出発か、戦闘開始
(3-9)
これらが長く吹き鳴らされると、全会衆が会見の天幕の入り口の、あなたのところに集まる。
もしその一つが吹き鳴らされると、イスラエルの分団のかしらである族長たちがあなたのところに集まる。
また、短く吹き鳴らすと、東側に宿っている宿営が出発する。
二度目に短く吹き鳴らすと、南側に宿っている宿営が出発する。彼らが出発するためには、短く吹き鳴らさなければならない。
集会を召集するときには、長く吹き鳴らさなければならない。短く大きく吹き鳴らしてはならない。
また、あなたがたの地で、自分たちを襲う侵略者との戦いに出るときには、ラッパを短く大きく吹き鳴らす。あなたがたが、自分たちの神、主の前に覚えられ、敵から救われるためである。
どの合図を送るにしても、その合図は神様の合図です。出発するかどうかは神様の臨在を表す雲や火が動くかどうかです。(9章)祭司はいつも神様の雲を見続けます。もちろん戦いをするかどうか、集まるかどうかも神様に聞いての合図です。合図をする祭司にとって一番大事なことは神様の動きや導きをいつも見続け、伺うことでした。
聖書は信じる全ての人が祭司になったと言います。そして僕ら一人一人が神様の導きやすばらしさを大勢の人たちに伝えるようにと言います。ラッパの合図ではなく僕らの言葉を用いてです。
(1ペテロ 2:9)
あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。
(2テモテ 4:2)
みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
神様はコミュニケーションの道具を全ての信仰者に与えてくださっています。友人関係もSNSもYouTubeも神様の素晴らしさを伝えるために与えられています。伝える人は何よりも神様を見上げ続ける必要があります。いつも神様に聞いている必要があります。そして、わかりやすく伝える必要があります。
(1コリント 14:7-9)
笛や琴などいのちのない楽器でも、はっきりした音を出さなければ、何を吹いているのか、何をひいているのか、どうしてわかりましょう。
また、ラッパがもし、はっきりしない音を出したら、だれが戦闘の準備をするでしょう。それと同じように、あなたがたも、舌で明瞭なことばを語るのでなければ、言っている事をどうして知ってもらえるでしょう。
祭司が神様の雲をいつも見つめていたように、僕らも神様のことをいつも見上げていますように。そして、神様の素晴らしさをいつもハッキリと、そして全ての人に発信しますように。与えられている関係もネット環境も全て神様に喜ばれるものとして用いられますように!
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