僕らの世界が滅んでも、地球が滅亡しても、神様の統治は終わることがありません。イエス様はこの世界の王としてもう一度来られます。僕らが死んでも、世界が終わっても、イエス様は終わりません。神様がお造りになった天も地も滅びますが、それはイエス様が新しく作り変えられる時です。
(25-28)
あなたははるか昔に地の基を据えられました。天もあなたの御手のわざです。
これらのものは滅びます。しかしあなたはとこしえの方です。すべてのものは衣のようにすり切れます。外套のようにあなたがそれらを取り替えられるとそれらはすっかり変えられます。
しかしあなたは変わることがなくあなたの年は尽きることがありません。
あなたのしもべたちの子らは住まいを定め彼らの裔は御前に堅く立てられます。」
この希望があるので僕らは死ぬことに対しても、世界が崩れて行くことに対しても悲しみはあるけども絶望しません。シオン(エルサレム)は何度も破壊されました。この詩篇もエルサレムが破壊されてバビロンに連れ去られた時の嘆きの詩篇かもしれません。(1-11)悲しみはありますが希望も確かでした。エズラやネヘミヤの時代にはそれが実現し、エルサレムは再建されました。また、将来同じことが起こります。しかも世界規模で完璧な回復が起こります。イエス様はシオン(エルサレム)でリアルに統治され、世界中の人たちがイエス様を礼拝する日が来るからです。
(12-17)
しかし主よあなたはとこしえに御座に着いておられます。あなたの呼び名は代々に及びます。
あなたは立ち上がりシオンをあわれんでくださいます。今やいつくしみの時です。定めの時が来ました。
まことにあなたのしもべたちはシオンの石を喜びシオンのちりをいとおしみます。
こうして国々は主の御名を地のすべての王はあなたの栄光を恐れます。
なぜなら主はシオンを建て直しその栄光のうちに現れ
窮した者の祈りを顧み彼らの祈りをないがしろにされないからです。
詩篇は祈りのお手本であり、同時に預言でもあります。著者は死にかけていたかもしれません(11)が、後の世代の人たちがこれを読んで希望を持つように書いています。エルサレムが破壊され捕らわれていた人たちが解放されて主を賛美することが預言されています。
(18-22)
このことが後の世代のために書き記され新しく造られる民が主を賛美しますように。
主はその聖なるいと高き所から見下ろし天から地の上に目を注がれました。
捕らわれ人のうめきを聞き死に定められた者たちを解き放つために。
人々が主の御名をシオンで主の誉れをエルサレムで語り告げるために。
諸国の民や王国が一つに集められて主に仕えるために。
過去にエルサレムは破壊され、そして復活したのと同じように、1948年まで破壊されていたエルサレムに世界中からユダヤ人たちが戻ってきています。やがて異邦人もユダヤ人も一つとなってエルサレムで主を賛美する日が来ます。「このことが後の世代のために書き記され新しく造られる民が主を賛美」する日です。(18)イエス様を信じる人たちは復活して永遠のいのちを持ち、ユダヤ人たちと一つになって主を賛美し主に仕えます。(22)
僕らが死んでも、世界が終わっても、イエス様は終わりません。必ず世界を新しく回復させ、その統治は終わることがありません。僕らの人生には悲しみがあり死があります。でも、それは回復のための通過点です。希望があります。大丈夫です。主のことばは必ず実現します。ハレルヤ!
(マルコ 13:31)
この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
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