どんな人も神様に造られた人です。そして良心とか神様への意識があるはずです。だのに、その神様を崇めず感謝しないとこから人間の悲しみと苦しみが始まりました。罪と悲惨へのステップが今日の箇所に書かれています。まずは虚しさと闇への3ステップです。
①神様を崇めない→②神様に感謝しない→③虚しく、暗くなる(21)
(21)
彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その鈍い心は暗くなったのです。
次は欲望のままに流されていく3ステップです。①自分は知者だと威張る→②頼るものを求めて偶像を拝む→③欲望の奴隷となる
(22-24)
彼らは、自分たちは知者であると主張しながら愚かになり、
朽ちない神の栄光を、朽ちる人間や、鳥、獣、這うものに似たかたちと替えてしまいました。
そこで神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡されました。そのため、彼らは互いに自分たちのからだを辱めています。
(26-31)
こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。すなわち、彼らのうちの女たちは自然な関係を自然に反するものに替え、
同じように男たちも、女との自然な関係を捨てて、男同士で情欲に燃えました。男が男と恥ずべきことを行い、その誤りに対する当然の報いをその身に受けています。
また、彼らは神を知ることに価値を認めなかったので、神は彼らを無価値な思いに引き渡されました。それで彼らは、してはならないことを行っているのです。彼らは、あらゆる不義、悪、貪欲、悪意に満ち、ねたみ、殺意、争い、欺き、悪巧みにまみれています。また彼らは陰口を言い、人を中傷し、神を憎み、人を侮り、高ぶり、大言壮語し、悪事を企み、親に逆らい、浅はかで、不誠実で、情け知らずで、無慈悲です。
僕らが喜びと平和と自由を取り戻すには、神様に栄光を捧げ、感謝することです。
僕らは中心ではありません。神様が中心です。そして神様が与えてくださる良いものは天にも地にも、そして僕らの人生にも毎日満ち溢れています。礼拝と感謝は僕らの本来の姿です。虚しさや暗さは神様を忘れている印です。今日も感謝しましょう。虚しさや暗さのために作られたのではありません。世界は神様の栄光を賛美するために造られています。ハレルヤ!
(19-20)
神について知りうることは、彼らの間で明らかです。神が彼らに明らかにされたのです。
神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。
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