2022年12月23日金曜日

ローマ2.17-29

 人には偉そうに教えるけど自分はできてないとか、口だけで行いが伴わないことは良くあります。イエス様はそのようであってはならない、そのような先生の真似をしてはならない、とおっしゃいます。


(マタイ23:3

ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行ない、守りなさい。けれども、彼らの行ないをまねてはいけません。彼らは言うことは言うが、実行しないからです


僕らが子供たちに「神様のみことばは大事」と教えていても、自分がそのように生きていなければ力がありません。口よりもその人の生活の方が説得力があります。これは親でも先生でも人を指導する立場の人全てに言えます。子どもたちはちゃんと見てます。


(ローマ2.21-23)

どうして、他人を教えながら、自分自身を教えないのですか。盗むなと説きながら、自分は盗むのですか。

姦淫するなと言いながら、自分は姦淫するのですか。偶像を忌み嫌いながら、神殿の物をかすめ取るのですか。

律法を誇りとするあなたは、律法に違反することで、神を侮っているのです


僕らが心から変えられ、行いが変化し、悔い改めて新しくされ続けるのは聖霊の働きです聖霊は僕らが口だけ立派なことを言っても心の中は醜い罪だらけなことを照らし教えてくださいます。「その方(聖霊)が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。」(ヨハネ16:8僕らは心に隠している罪を聖霊によって認めることができます。そして、謝ることができるし、変えられます。このことを「心の割礼」と言います。


28-29)

外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上のからだの割礼が割礼ではないからです

かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による心の割礼こそ割礼だからですその人への称賛は人からではなく、神から来ます。


ユダヤ人たちは割礼(神様の子どもの印として赤ちゃんの時に生殖器の皮を切り取ること)受けることで「自分は神様に選ばれた人」と誇りを持っていました。でも、聖書は「御霊による心の割礼こそ割礼」と言います。(29)肉体に割礼を受けていなくても、イエス様を信じて御霊を受ける人は神様に選ばれ、作り変えられます。


今日も表面だけの教えでなく、御霊によって心が変えられ、言葉が、行いが変えられますように。

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