2022年12月14日水曜日

ヨハネ20.11-18

 ヨハネ20.11-18


イエス様は今日も生きておられます。僕らと一緒にいて、名前を呼んで励まし安心させ、愛してくださっています。悲しむなら今日、イエス様は「なぜ泣いているのですか。」と語りかけておられます。


マグダラのマリヤはそれに気がつきませんでした。処刑されたイエス様の遺体が盗まれたと思い込み、遺体が消えた墓の前で泣いていました。思い込みや絶望が強すぎて、彼女に御使いが語りかけも、イエス様が語りかけても気がつきません。


(11-13)

一方、マリアは墓の外にたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。

すると、白い衣を着た二人の御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、一人は頭のところに、一人は足のところに座っているのが見えた。彼らはマリアに言った。「女の方、なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私には分かりません。」


御使いもイエス様も同じく「なぜ泣いているのですか。」と話しかけます。マリヤは遺体が盗まれた、と答えます。イエス様がよみがえることは何度も教えられていたはずですあまりの悲しみにイエス様のことばは忘れてしまい、思い込みの殻の中にいます。御使いが語りかけても、イエス様を見ても、イエス様が語りかけても気がつきません。


(14-15)

彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。そして、イエスが立っておられるのを見たが、それがイエスであることが分からなかった。

イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、彼が園の管理人だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。私が引き取ります。」


マリヤは相手が園の管理人だと思い込み、遺体は私が引き取る、と自分のプランを話します。彼女は自分なりの判断と対応策しかわかりません。そんな彼女がイエス様にやっと気がついたのは、イエス様が名前を呼んでくださった時です


(16)

イエスは彼女に言われた。「マリア。」彼女は振り向いて、ヘブル語で「ラボニ」、すなわち「先生」とイエスに言った。


イエス様はすぐそばにいました。生きていました。そして名前を呼んでくださっています。思い込みに縛られていたのは間違いでした。


イエス様は今日も僕らに「なぜ泣いているのですか。」と言われます。イエス様はすぐ近くにいて名前を呼んで下さっています。それに気がつかず、勝手な想像で落ち込むのは僕らの問題ですイエス様は復活して生きておられます。全ての悪にも死にも勝利しておられます。しかも、すぐ近くにいます。僕らの名前を呼んでくださっています。


(イザヤ43.1-3)

恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの。あなたが水の中を過ぎるときも、わたしは、あなたとともにいる。川を渡るときも、あなたは押し流されず、火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。わたしはあなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。


今日も落ち込む出来事はあります。それでも見つめるべきはお墓ではありません。名前を呼んで愛してくださるイエス様ですどんな苦しみや悲しみの中でもイエス様は一緒ですイエス様はすぐ近くから言われています。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」と。イメージしてください。名前を呼ばれていることを。ハレルヤ!

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