2022年12月14日水曜日

ヨハネ20.1-10

 ヨハネ20.1-10


「イエス様の教えはいいんだけど、復活はちょっとねえ…」という人がいます。ムリもありません。12弟子さえ復活に関する聖書の預言もイエス様の預言も信じてなかったし、理解もしてませんでした。でも、現実として今イエス様は復活して生きています。そして僕らの中に生きているイエス様の御霊が与えられ住んでいます。僕らはイエス様と会話できます。イエス様は今、そばにいます。それがリアルにわかるのは聖霊が与えられることによります。


(9)

彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかった。


イエス様が復活することは何度も聞いていました。(詩篇16:10、マタイ16:2117:2320:19、ルカ9.22、18.33、24.7など多数)

でも、よくわかりませんでした。彼らはイエス様と会って、聖霊が与えられるまで「復活した」とは言いませんでした。


イエス様の体が墓からなくなった第一発見者はマグダラのマリアです。彼女も「遺体が盗まれた」と思いました。


(1-2)

さて、週の初めの日、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓にやって来て、墓から石が取りのけられているのを見た。

それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛されたもう一人の弟子のところに行って、こう言った。「だれかが墓から主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私たちには分かりません。」


ペテロとヨハネも空の墓を見ました。本当にイエス様の体がなくなっていること、しかも体を包んでいた亜麻布、頭を包んでいた亜麻布がきちんと丸めてあることを見て、2人の弟子は復活を信じたようです


(3-8)

そこで、ペテロともう一人の弟子は外に出て、墓へ行った。

二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。して、身をかがめると、亜麻布が置いてあるのが見えたが、中に入らなかった。

彼に続いてシモン・ペテロも来て、墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。

イエスの頭を包んでいた布は亜麻布と一緒にはなく、離れたところに丸めてあった。そのとき、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来た。そして見て、信じた。


信じたけども、彼らは「復活した」と言うまでには至りません。

復活のイエス様と会ったとしても、それでも分からない弟子たちもいました。マリアは「イエスが立っておられるのを見たが、それがイエスであることが分からなかった。」(14)とあります。他の2人の弟子はエルサレムからエマオまでの道中、ずっとイエス様と会話していたのに、「しかし、二人の目はさえぎられていて、イエスであることが分からなかった。」とあります。(ルカ24.16)


イエス様は復活して今生きておられます。それは人間の知恵によってわかることではありません。(1コリント1.21)それがリアルにわかるのは聖霊が与えられることによります。御霊のことは御霊に教えられてわかります。(1コリント2.14)人間の知恵とか人の経験ではわからないことが確信持ってわかるのは御霊によることです。「真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。」(ヨハネ16.13)


イエス様は復活して今日も一緒にいてくださいます。僕らは祈りによって会話できます。イエス様はみことばによって御霊によって僕らの心に語りかけ、必要なことはすべて教えてくださいます。弟子たちは「聖書を、まだ理解していなかった。」とありますが、僕らも肉のままでは聖書はわかりません。聖書は生きている神様のことばです。いのちのことばですそれは御霊によって理解させてもらえます。求める人には必ず御霊が与えられます。悪い親でさえ、子どもには良いものを与えます。「それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。」(ルカ11.13)イエス様は今日も生きておられます。生きておられるイエス様は僕らとの生きた交わりを喜んでおられます。今日もたくさん会話をし、賛美をし、感謝を言い表しましょう!主は生きておられます。ハレルヤ!

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