聖書は高ぶって失敗した人たちの話がたくさん書かれています。そそれは僕らへの教訓です。
(1コリント 10:11-12)
これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。
ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。
ヨタムが王になった時、お父さんのウジヤ王はまだ生きていました。父ウジヤは高ぶって祭司の権限まで手に入れようと勝手に神殿に入り、「ウジヤ王は死ぬ日までツァラアトに冒され、ツァラアトに冒された者として隔離された家に住んだ。」とあります。(26.21)神様のさばきです。息子のヨタムは神様の前に高ぶることがどんなに惨めな結果になるか、嫌という程知らされたようです。それで、彼はただ神様に喜ばれることだけを選んで歩みました。
(2)
彼は、すべて父ウジヤが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った。ただし、主の神殿に入ることはしなかった。民は依然として滅びに向かっていた。
彼の政策も、戦いも全て神様に喜ばれることだけを選ぶようにしました。そして、神様は彼に力を与えてくださいました。彼の成功の理由を「主の前に、自分の道を確かなものとしたから」と伝えています。
(5-6)
彼はアンモン人の王と戦い、彼らに打ち勝った。その年、アンモン人は銀百タラント、小麦一万コル、大麦一万コルを彼に贈った。アンモン人はこれだけのものを彼に納め、二年目も三年目も同じようにした。ヨタムは勢力を増し加えた。彼が、自分の神、主の前に、自分の道を確かなものとしたからである。
聖書は単純に、僕らが神様に喜ばれ、神様を第一とする歩みをするように伝えます。先輩たちの失敗もまた僕らへの教訓です。今日も僕らがただ神様に信頼し、主の目に正しいことを選びますように。
(申命記30.19-20)
私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。
あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなたの子孫も生き、あなたの神、主を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためだ。
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