2022年12月26日月曜日

2歴代誌31章

 教会の牧師や宣教師やスタッフってどこから収入得てるの?と疑問に思う方がいると思います。答えは神様への献金の中から決められた額を受け取っています。旧約聖書では神殿で奉仕する人の収入は人々のささげものの中から与えられることになっています。新約聖書の時代になってもそれは同じです


1コリント9:13-14

あなたがたは、宮に奉仕している者が宮の物を食べ、祭壇に仕える者が祭壇の物にあずかることを知らないのですか。同じように、主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定めておられます。


そもそも、神様にささげものをしよう、という人たちがいなければ奉仕する人たちの生活費も出ません。ヒゼキヤの時代まで何年も神殿は閉鎖され、神様のために奉仕するはずの祭司やレビ人は生活できませんでした。ヒゼキヤ王は国をあげて神様の前に立ち返り、祭司やレビ人を本来あるべき場所に戻しました。それはチーム編成をして毎日24時間神様に奉仕することです。そして、神様が定めておられたように、人々に収穫の1/10を持ってくるように命令しました。


(2-4)

ヒゼキヤは祭司とレビ人の組を定め、祭司とレビ人それぞれの組ごとに、その奉仕にしたがって全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げさせ、さらに、主の宿営の門で仕え、告白し、賛美させた。

また王は、全焼のささげ物のために、自分の財産から自分の分を出した。すなわち、主の律法に記されているとおりに、朝夕の全焼のささげ物、また安息日、新月の祭り、例祭ごとに献げる全焼のささげ物をした。

さらに彼は、エルサレムに住む民に対して、祭司とレビ人の受ける分を与えるように命じた。祭司とレビ人が主の律法に専念するためであった。


「祭司とレビ人が主の律法に専念するため」(4)に人々は1/10を捧げるように律法で定められています。ところが、「え、10パーセントも!そんなに?!」という人もいます。心配無用です。神様にささげる時は特別で、神様がその人に喜びと感謝を与え、増やし、実際に収穫さえも増やしてくださいます。この時も人々は喜んで収穫の1/10をささげました。しかも、人々はその時から食べて満ち足り、それ以上に多くささげたようです


(5-10)

この命令が広まるとともに、イスラエルの子らは、穀物、新しいぶどう酒、油、蜜など、畑のすべての収穫の初物をたくさん持って来た。彼らはすべての物の十分の一を豊富に携えて来た。ユダの町々に住むイスラエルとユダの人々も、牛や羊の十分の一と、彼らの神、主に聖別した聖なるささげ物の十分の一を携えて来て、いくつもの山に積み上げた。第三の月に彼らは積み始め、第七の月に終えた。

ヒゼキヤと高官たちは、やって来て積まれた山を見ると、主とその民イスラエルをほめたたえた。ヒゼキヤが、その積まれた山について祭司とレビ人に説明を求めると、ツァドク家の祭司の長アザルヤが、彼に答えて言った。「人々が奉納物を主の宮に携えて来ることを始めてから、食べて満ち足り、たくさん残るようになりました。主が御民を祝福されたので、その残りがこんなにたくさんあるのです。」


神様を第一に求めてささげる人は祝福されます。不思議なことですが聖書は真実です


(マタイ6.33)

神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。


(マラキ 3:10

 十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。

こうしてわたしをためしてみよ。万軍の主は仰せられる。わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ


この時、人々は主の宮にささげものをするようになってから食べて満ち足りるようになり、しかも残るようになりました。ヒゼキヤは何をするにも神様を第一に求め、神様からの祝福を得ました。


(20-21)

ヒゼキヤはユダの全地でこのように行い、その神、主の前に、良いこと、正しいこと、真実なことを行った。彼が始めたすべてのわざにおいて、すなわち、神の宮の奉仕において、律法において、命令において、彼は神を求め、心を尽くして行い、これを成し遂げた。


『受けるよりも与えるほうが幸いである。』とイエス様は言われます。(使徒20.35)これは真実な言葉です神様にささげて貧しくなった人や感謝がなくなってしまった人を僕は見たことがありません。「その残りがこんなにたくさんあるのです。」(10)と祭司長が驚いて報告したように、僕らも同じ経験をすることができます。受けるより与える方が幸いです。神様にささげましょう。溢れるばかりの祝福が注がれます。ハレルヤ!

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