嫌なことや不安なことを1日何度も思い出してしまうことがあります。が、その気持ちに引きずられる必要はありません。
クリスチャンはその気持ちがどこから出ているのか、神様を忘れさせようとする誘惑や悪魔のウソなのか真理なのか判断できます。そして真実を選ぶことができます。霊的な戦いとは、真理か嘘や誘惑どちらを選ぶか、と言う戦いです。
当時世界最強、最大だった国アッシリアが弱小国であるユダを攻撃しようとした時、ユダの王ヒゼキヤは神様の真実を選び取るように人々を励ましました。
(6-8)
彼(王ヒゼキヤ)は民の上に戦時の隊長たちを立て、彼らを町の門の広場に召集し、激励して言った。
「強くあれ。雄々しくあれ。アッシリアの王や、彼とともにいるすべての大軍を恐れてはならない。おののいてはならない。彼とともにいる者よりも大いなる方が、私たちとともにいてくださるからである。
彼とともにいる者は肉の腕だが、私たちとともにおられる方は、私たちの神、主であり、私たちを助け、私たちの戦いを戦ってくださる。」民はユダの王ヒゼキヤのことばによって力づけられた。
一方敵は神様のことばは嘘だぞ、神様を信じてもムダだぞ、必ず負けるぞ、怖いぞ、というメッセージを繰り返して来ます。
(10-11)
「アッシリアの王センナケリブがこう言っておられる。おまえたちは何に拠り頼んで、エルサレムの包囲の中にとどまるのか。
ヒゼキヤは、『私たちの神、主は、アッシリアの王の手から私たちを救い出してくださる』と言って、おまえたちをそそのかし、飢えと渇きで、おまえたちを死なせようとしているではないか。
(14-15)
私の先祖たちが滅ぼしたこれらの国々の神々のうち、だれがその民を私の手から救い出すことができたか。おまえたちの神がおまえたちを私の手から救い出すことができるとでもいうのか。
今、おまえたちは、ヒゼキヤにごまかされるな。このようにそそのかされてはならない。彼を信じるな。どのような国、どのような王国のどのような神も、その民を私の手や私の先祖たちの手から救い出すことはできないからだ。まして、おまえたちの神は、おまえたちを私の手から救い出すことはできない。」
この戦いは何を信じるか、どちらが真実か、という戦いでした。神様のことばこそが真実です。神様は見放すことも見捨てることもありません。また、神様を信じることは、何もせずにぼーっとしていることではありません。ヒゼキヤ王は与えられた能力や時間をフル活用して防備を固めました。町に必要な水源を敵に見つからないように隠し、地下水路を作ってエルサレムに供給できるようにし、さらに城壁を二重にし、そして大量の武器を作りました。神様に信頼して祈ることは信頼して行動することとセットです。
(2-5)
ヒゼキヤは、センナケリブが来て、エルサレムに対して戦を仕掛けようとしているのを見たので、
町の外にある泉の水をふさごうと、高官たちや勇士たちと相談した。彼らは王を支持した。
そこで、多くの民が集まり、すべての泉と、この地を流れている川をせき止めて言った。「アッシリアの王たちに攻め入らせ、豊富な水を見つけさせてなるものか。」
王は奮い立ち、崩れていた城壁をすべて改修し、その上にやぐらを立て上げ、その外側にもう一つの城壁を築き、ダビデの町のミロを強固にした。さらに、大量の投げ槍と盾を作った。
ヒゼキヤは神様を信頼し、神様に祈り叫び続けました。そして神様はそれに答えてくださり、敵を神様の方法で全滅させました。
(20-22)
ヒゼキヤ王と、アモツの子、預言者イザヤは、このことについて祈り、天に叫び求めた。
主は御使いを遣わして、アッシリアの王の陣営にいたすべての勇士、指揮官、隊長を全滅させた。アッシリアの王は恥じて国へ帰り、自分の神の宮に入った。そのとき、自分の身から生まれ出た者たちが、そこで彼を剣にかけて倒した。
こうして主は、ヒゼキヤとエルサレムの住民を、アッシリアの王センナケリブの手、および、すべての者の手から救って、四方から彼らを守られた。
僕らの戦いは神様から出る真実なことなのか、悪から出る悪いことなのかを判断し、神様の真実を選び取ることです。クリスチャンは選べます。神様の真実を選び取り、それに従う選択ができます。毎日が戦いです。誘惑はいつも来ます。でも、勝てます。神様の言葉を、神様の真実を選びましょう。悪い思いや不安に引きずられる必要はありません。真実を選べます。神様に従う選択はできます。大丈夫です。ハレルヤ!
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