僕らは困ったことがあると神様に祈るのですが、順調だと祈らなくなりがちです。
ヒゼキヤ王が大国アッシリアに滅ぼされそうになっていた時には「このことについて祈り、天に叫び求めた。」(20)とあります。そして神様はヒゼキヤとユダとエルサレムを助けてくださいました。…ところが、この救いと大逆転によっヒゼキヤは多くの人々から尊敬され、多くの財宝を手に入れるようになります。その時期に彼の心は高ぶりました。
(23)
多くの人々が、主へのささげ物やユダの王ヒゼキヤに贈る選りすぐりの品々を携えて、エルサレムに来るようになった。この時以来、ヒゼキヤはすべての国々から尊敬の目で見られるようになった。
(27-29)
ヒゼキヤは非常に多くの富と誉れを手にした。彼は、銀、金、宝石、バルサム油、盾、すべての尊い器を納める宝物倉、
穀物、新しいぶどう酒、油などの産物のための倉庫、さらに、あらゆる家畜のための小屋や、羊の群れの囲いを造った。
彼は町々を建て、羊や牛の群れもおびただしい数であった。神が、実に豊かな財産を彼に与えられたからである。
ヒゼキヤは神様の恵みに感謝することを一時忘れたようです。神様はそんな愛するヒゼキヤを放っておきません。高ぶっているヒゼキヤに、そしてエルサレムの上にもちゃんと苦しみを与えてくださいます。神の怒りとしての苦しみは実は神様からの恵みです。
(25)
ところがヒゼキヤは、自分に与えられた恵みに応えようとせず、かえってその心を高ぶらせたので、彼の上に、また、ユダとエルサレムの上に御怒りが下った。
苦しみを通して彼は神様からのメッセージに気がつきます。感謝を忘れ自分が高ぶっていたことに気が付き、悔い改めました。
(26)
しかし、ヒゼキヤがその心の高ぶりを捨ててへりくだり、彼もエルサレムの住民もそうしたので、主の御怒りは、ヒゼキヤの時代には彼らの上に臨まなかった。
聖書は「神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。」(1ペテロ5.5)「だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。」(マタイ23.12)と言います。
上手く言った時こそ神様に感謝しましょう。自分の力ではありません。全てが神様からの恵みです。神様から試練が与えられたならもう一度神様の前にへりくだり、権威も栄光を主に手放しましょう。試練はへりくだりのための恵みです。全ては神様からの恵みです。上手く行った時には感謝と賛美をささげましょう。全てが神様からの恵みです。「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」です。(詩篇103.2)ハレルヤ!
0 件のコメント:
コメントを投稿