2022年12月13日火曜日

エゼキエル3章

エゼキエル3章 僕らは人に気に入られたいし、相手が喜ぶようなことを言いたいものです。…というのは実は自己保身で、実は自分が傷つきたいくないし、余計なストレスやトラブルを抱えたくない、というのが本音かもしれません。でも、優先すべきことは、相手に気に入られることではなく、圧倒的な権威を持ち、その方の前に出るなら一瞬で滅ぼされてしまう神様に受け入れられ、喜ばれ、神様とのトラブルを避けることです。恐るべきはただ一人だけ、神様だけです。この方こそ、人を生かしたり殺したり、世界を滅ぼしたり新しくしたりする唯一の王です。預言者エゼキエルは神様の姿を見せられ、その力と栄光に圧倒されてひれ伏します。 (1章27-28) 私が見ると、その腰と見えるところから上の方は、その中と周りが琥珀のきらめきのように輝き、火のように見えた。腰と見えるところから下の方に、私は火のようなものを見た。その方の周りには輝きがあった。(…中略…)まさに主の栄光の姿のようであった。私はこれを見て、ひれ伏した。 (3章12) それから、霊が私を引き上げた。そのとき私は、うしろの方で、「主の栄光が御住まいでほめたたえられますように」という大きなとどろきを聞いた。 (23) 私は平地に出て行った。すると、主の栄光が、かつて私がケバル川のほとりで見た栄光のように、そこにとどまっていた。それで私はひれ伏した。 神様の大きさと栄光に触れる時、僕らは顔を隠してひれ伏します。この方の前では僕らは一瞬で滅ぼされてもおかしくない汚れたものです。そんな神様が僕らを愛し、受け入れ、役目を与えてくださいます。 神様はいろんな人に役目を与えますが、特に神様の代理として語るのが預言者です。神様は預言者エゼキエルに「さあ、イスラエルの家に行き、わたしのことばをもって彼らに語れ。」(4)「あなたは、わたしの口からことばを聞き、わたしに代わって彼らに警告を与えよ。」(17)と言われました。彼が語るのは神様のことばです。自分の意見はいりません。足しても引いてもいけません。代理人に求められるのは誠実なことです。しかも、相手(当時のイスラエル人たち)はガンコで聞かない人たちです。それでも誠実に、恐れずに語れと神様はおっしゃいます。 (7) しかし、イスラエルの家はあなたの言うことを聞こうとはしない。彼らがわたしの言うことを聞こうとしないからだ。イスラエルの全家は額が硬く、心が頑なだからだ。 拒絶されると落ち込みますが、神様が用いてくださる時には、拒絶されても立ち向かう強さも与えられます。逆ギレされても、自分の意見ではなく神様のことばを伝える時には神様が特別に守ってくださいます。「彼らを恐れるな。彼らの顔におびえるな。」と主が励ましてくださいます。 (8-9) 見よ。わたしはあなたの顔を、彼らの顔に合わせて硬くし、あなたの額を、彼らの額に合わせて硬くする。 わたしはあなたの額を、火打石よりも硬いダイヤモンドのようにする。彼らを恐れるな。彼らの顔におびえるな。彼らは反逆の家なのだから。」 もう、エゼキエルは自分のものではなく、完全に神様のものとなりました。神様の口として、代理として神様からのことばだけを伝えます。 恐ろしく、圧倒的な権威と栄光を持つ神様が用いてくださいます。語るのはエゼキエル自身でなく、彼を用いてくださる主の霊です。同じように、イエス様を信じた時に僕らの口も体も神様のものとなりました。「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」(1コリント12:27)圧倒的に賛美されている主が遣わしてくださいます。目の前の人々は堕落し、反抗し、聞くつもりのない人たちです。でも、恐れるべきは彼らではなく天の神様です。 (11) さあ、捕囚になっているあなたの民のところへ行き、彼らに告げよ。彼らが聞いても、聞かなくても、『神である主はこう言われる』と彼らに言え。」 もしも、代理人としての役目を放棄して人々に警告を与えないならその責任を問われます。 (18) わたしが、悪い者に『あなたは必ず死ぬ』と言うとき、もしあなたが彼に警告を与えず、悪い者に悪の道から離れて生きるように警告しないなら、その悪い者は自分の不義のゆえに死ぬ。そして、わたしは彼の血の責任をあなたに問う。 僕らは人のことばかり考え、トラブルを恐れがちです。でも、もっと優先すべきことは、神様とのトラブルを避けることです。神様と和解し、神様に愛され、喜ばれ、神様を愛する選択はどんなことよりも価値があります。神様はその人を守られます。恐れるべきは神様だけです。周囲とのトラブルやストレスは、神様がちょうどよくしてくださいます。 (箴言 16:7) 主は、人の行ないを喜ぶとき、その人の敵をも、その人と和らがせる。 僕らの体も心も全てが神様のものとなりました。「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。(…中略…)この世と調子を合わせてはいけません」(ローマ12.1-2)僕らの心が、口が、行いが完全に主のものとされますように。

0 件のコメント:

コメントを投稿