タバコが大嫌いな人と住むならタバコは吸えません。ペットが無理な人と住むならペットは無理です。同じように、人間の罪や汚れ、病気も死も嫌う神様と住むなら聖なる場所としなければなりません。神様はイスラエルと一緒に住むために病気や汚れのある人を追い出すようにモーセに言います。
(1-4)
主はモーセにこう告げられた。「イスラエルの子らに命じて、ツァラアトに冒された者、漏出を病む者、死体によって身を汚している者をすべて宿営の外に追い出せ。男でも女でも追い出し、彼らを宿営の外に追い出し、わたしがそのただ中に住む宿営を、彼らが汚さないようにしなければならない。」イスラエルの子らはそのようにして、彼らを宿営の外に追い出した。主がモーセに告げられたとおりにイスラエルの子らは行った。
聖なる神様は汚れたものと交わることをしません。もし神様と一緒に住むのなら、罪や汚れのある人は追い出されるか、そうでなければきよめられるかのどちらかです。イエス様は聖なる神様です。ところがなんと、汚れた人たちを招き、受け入れ、きよめてくださいました。
(ルカ5.13)
イエスは手を伸ばして彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐにツァラアトが消えた。
神様が汚れた人と交わらないのは今も同じです。でも、イエス様はその病を背負って、ご自分が追い出される側になってくださいました。イエス様は身代わりの死を引き受け、僕らをきよめてくださいました。だから、僕ら罪のある人間は、どんな病があっても神様と近づくことができます。イエス様は信じる者たちを聖なる者、と呼んでくださいます。
僕らには罪があります。それは放置せずちゃんと神様に告白する必要があります。人に対する罪は神様に対する罪であり神様への裏切りです。だからちゃんと神様に告白しましょう。そしてちゃんと弁償しましょう。
(6-7)
「イスラエルの子らに告げよ。男にせよ、女にせよ、他人に何か一つでも罪となることを行って主の信頼を裏切り、後になって、その人自身がその責めを覚えたときは、自分が行った罪を告白しなければならない。その人は償いとして総額を弁償し、それにその五分の一を加えて、償いの責めを果たすべき相手に支払わなければならない。
他人に対して罪を犯した場合も神様に対する罪です。なぜならその隣人は神様の宝物だからです。被害を与えたなら1/5を加えて弁償するように聖書は教えています。イエス様によってどんな罪も赦されます。イエス様のきよめは完璧です。だから恐れないで告白しましょう。必ず赦されます。必要なら十分に弁償しましょう。相手に対する罪は神様への罪です。イエス様の赦しは完璧です。弁償を受け取ってくれる相手がいなければ神様に捧げるようにと聖書は言います。全ての罪は神様への罪だからです。
(8)
もしその相手の人に、償いを受け取る権利のある親類がいなければ、その咎のために弁償されたものは主のものであり、祭司のものとなる。そのほか、その人のために宥めを行うための、宥めの雄羊もそうなる。
今日も神様は聖なる神様です。罪や汚れと交わることのない聖なる神様です。その神様が僕らをきよめてくださいました。その神様が僕らは完全に赦して下さいました。僕らは聖なるものとされています。そしてこれからもきよく変えられ続けます。全てが神様の恵みです!
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