神様は僕らが神様に全てをささげることを喜んでくださいます。聖書は飲酒を禁じていませんが、神様のために一定期間酒を飲まず、贅沢をせず、ただ神様のための時間とすることを喜んでくださいます。神様はそのように特別に身をささげることを定めてくださいました。一定期間、主のためだけに聖別した時間を過ごす人のことを「ナジル人」と言い、そのように願い献げる人のための規定を教えてくださいました。
(1-4)
主はモーセに告げられた。「イスラエルの子らに告げよ。男または女が、主のものとして身を聖別するため特別な誓いをして、ナジル人の誓願を立てる場合、その人は、ぶどう酒や強い酒を断たなければならない。ぶどう酒の酢や強い酒の酢を飲んではならない。また、ぶどう汁をいっさい飲んではならない。ぶどうの実の生のものも、干したものも食べてはならない。ナジル人としての聖別の全期間、彼はぶどうの木から生じるものはすべて、種も皮も食べてはならない。
このように主のための期間を過ごす人は髪の毛を切りません。髪の毛を伸ばし続けることによって「この人は今神様のために聖なる期間を過ごしているんだ」ということが他の人にも明らかになりました。髪の毛を伸ばすことは「神への聖別のしるし」でした。(7)
(5)
彼がナジル人としての聖別の誓願を立てている間は、頭にかみそりを当ててはならない。主のものとして身を聖別している期間が満ちるまで、彼は聖なるものであり、頭の髪の毛を伸ばしておかなければならない。
神様に献げる一定期間が終わると伸ばし続けた髪の毛を剃り落とします。これによって聖別の期間が終了したことを表しました。今はこのような会見の天幕での規定は古いものとされています(ヘブル8.13)ですが、普段の生活をやめて神様のために一定期間を献げることは、今でも神様に喜ばれる大切なことです。髪の毛を伸ばし続けたり、剃ったりする必要はないけれども、大事なことは神様のために一定期間を取り分けることです。
食事を抜いて祈りの時間を増やすとか、仕事を一定期間やめて学びに行くとか、大事なことは神様のために何かを手放すことです。他の人から変な人と思われたとしても、それは喜ばれます。僕ら自身が主にささげられたものです。主に喜ばれる決断は何よりも価値があります。
(ローマ 12:1)
兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。
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