イスラエル人たちにとって一番大事な場所は神様とお会いする会見の天幕でした。神様が人々を導き移動するので、会見の天幕も移動します。中でも特に会見の天幕の中にある用具類は聖なるものであって、取扱注意でした。まず、アロンとその子たち(祭司だけ)が用具類を布やじゅごんの皮で覆いました。それに触れたり見たりするなら死んでしまうほど、聖なる用具類です。
(4章15節)
宿営が移動する際には、アロンとその子らが聖所と聖所のすべての用具をおおい終わってから、その後でケハテ族が入って行って、これらを運ばなければならない。彼らが聖なるものに触れて死ぬことのないようにするためである。
この用具類だけは台車で運ぶことが禁じられていて、必ずケハテ族が肩に担ぐことになっていました。
(4章5-6節)
宿営が出発するときは、アロンとその子らが入って行って、仕切りの垂れ幕を取り降ろし、あかしの箱をそれでおおい、その上にじゅごんの皮の覆いを掛け、またその上に真っ青の布を広げ、担ぎ棒を通す。
会見の天幕の移動のために便利な台車が捧げられましたが、ケハテ族にだけは台車は与えられません。彼らが肩に担いで運ぶことが神様の願いだったからです。
(6-9)
そこでモーセは台車と雄牛を受け取り、それをレビ人に与えた。ゲルション族には、その奉仕に応じて台車二台と雄牛四頭を与え、
メラリ族には、祭司アロンの子イタマルの監督のもとにある彼らの奉仕に応じて、台車四台と雄牛八頭を与えた。しかしケハテ族には何も与えなかった。彼らの聖なるものに関わる奉仕は、肩に担いで運ぶことだったからである。
契約の箱や聖なる用具類は特に移動の手順が定められています。台車には載せず、人が担いで運ぶことになっていました。そしてこのルールを守らず、台車に載せ、手で触れたウザは神様に打たれて死んでしまいました。台車に載せるように指示したダビデにも責任があります。
(2サムエル6:3-7)
彼らは、神の箱を、新しい車に載せて、丘の上にあるアビナダブの家から運び出した。(…中略…)ウザは神の箱に手を伸ばして、それを押えた。牛がそれをひっくり返しそうになったからである。すると、主の怒りがウザに向かって燃え上がり、神は、その不敬の罪のために、彼をその場で打たれたので、彼は神の箱のかたわらのその場で死んだ。
ウザが神様に殺された理由を聖書は「ウザによる割りこみに主が怒りを発せられた」と書いています。(2サムエル6.8)
台車も便利ですが、神様の言葉を無視して台車を使うなら「割り込み」です。
神様が求めておられるのはみことばに対する恐れと誠実さ、そして謙遜さです。効率とか便利さで全てが決まるのではありません。
特に忙しい時、立ち止まって考えましょう。効率よく進みたいと思う時、よく考えて見ましょう。どちらが神様に対して誠実なのか、主を恐れ信頼するのはどちらなのか、と。この世の考えと神様のお考えは違います。僕らが効率とか便利さに流されませんように。大事なことを見失うことがありませんように。
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