2022年12月23日金曜日

ローマ5.1-11

 イエス様は、敵を愛し敵を赦すために、罵られる側、叩かれる側、見捨てられる側、つばをかけられる側、神の怒りと呪いを受ける側になってくださいました。これがキリストの愛です。しかも、良い人のためではなく悪い人たちのためですこれがキリストの品性です。人間からは出ない、神様のご性格です


(6-8)

実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、定められた時に、不敬虔な者たちのために死んでくださいました。

正しい人のためであっても、死ぬ人はほとんどいません。善良な人のためなら、進んで死ぬ人がいるかもしれません。

しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。


ありえないこの愛は、なんと、僕らの中に同じように与えられつつあります。それは苦しみを通して与えられます。苦しみは忍耐を生みます。忍耐することは愛です。(1コリント13.7)そのようにしてキリストの品性を僕らも身に付けるように作り変えられます。


(3-5)

それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、

忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです

この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです


忍耐とは希望を持って待つことです。地上でどんなに苦しんでも、それは天では喜ばれています。「喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。」とイエス様はおっしゃいます(マタイ5.11-12)やがて僕らは神様から栄光をいただきます。(2)


僕らは成長は遅くても、少しずつキリストの犠牲の愛が注がれ、同じように敵を愛し赦すための品性を身につけつつあります。

イエス様の愛は自分を捨てる愛です。それは僕らにも、聖霊によって、苦しみを通して与えられています。将来は栄光を受けることが決まっています。感謝しつつ忍耐しましょう。ハレルヤ!

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