2022年12月23日金曜日

ローマ5.12-21

 上流に毒を流すと下流全部が汚染されるように、僕らの先祖アダムが犯した罪は子孫全部を汚染し、僕らはみんな罪に汚れ死んでいくものになりました。「死」はまるで世界最強の王様のように人類を支配し、そこから逃れられる人はいませんでした。ところが、聖書はアダムが人類を汚染したことは、イエス様が人類全てをきよめ、義と認めることのひな型だといいます。「アダムは来たるべき方(イエス様)のひな型です。」(14)


(12)

こういうわけで、ちょうど一人の人(アダム)によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がったのと同様に──


(18節から19節)

こういうわけで、ちょうど一人(アダム)の違反によってすべての人が不義に定められたのと同様に、一人(イエス様)の義の行為によってすべての人が義と認められ、いのちを与えられます。

すなわち、ちょうど一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、一人の従順によって多くの人が義人とされるのです


人類はどんなに頑張っても死ぬことから逃れられなかったのに、今はどんなに悪くてもイエス様ゆるしと命から逃れられない人になりました。イエス様を信じる人はどんなに悪くても赦され、きよめられます。その先は死ではなく命です


(17節)

もし一人(アダム)の違反により、一人(アダム)によって死が支配するようになったのなら、なおさらのこと、恵みと義の賜物をあふれるばかり受けている人たちは、一人の人イエス・キリストにより、いのちにあって支配するようになるのです


自分の意思とは関係なく罪を受け継ぎ、死に向かってしまっていた私たちですが、今度は逆に、全てがきよめられていきます。しかも罪が多い人ほど多く赦されきよめられます。律法は僕らの罪を指摘します。CTやMRIが体の中の悪いところをはっきり写すように、律法は僕らの罪をはっきり認めさせます。「律法がなければ罪は罪として認められないのです。」(13)しかも、律法は僕らを責めるためでなく、キリストによって赦され癒されるために用いられます。


(20節)

律法が入って来たのは、違反が増し加わるためでした。しかし、罪の増し加わるところに、恵みも満ちあふれました。


私はダメなクリスチャンとか信仰深くないクリスチャンだと言う人がいますが、罪が多い人ほど多く赦されています。イエス様を信じる人は義とされています。その支配には逆らうことができません。「神の恵みと、一人の人イエス・キリストの恵みによる賜物は、なおいっそう、多くの人に満ちあふれるのです。」感謝しましょう。僕らは神様の愛と恵みの中にいます。どんなにダメでも、義人です。無罪です。ハレルヤ!

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