2022年12月23日金曜日

ローマ6.1-14

 バプテスマ、と言うギリシャ語は「浸される」とか「一体とされる」と言う意味です。イエス様を信じてバプテスマ(洗礼)を受けた人はイエス様と浸され一体となりました。僕らはイエス様の「十字架上で罪の裁きを受けて殺されたこと」と「復活し永遠に生きておられること」の両方と一つにされています。


①信じた人は十字架で殺されるイエス様と合体しました。


(3節から4節)

それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです


僕らは神の怒りと裁きを受けて死んだイエス様と合体しています。僕らへの裁きは過去のものとなりました。また、死んだ人はもう罪を犯すことがありません。死んだ人をどんなに誘惑しても反応しません。聖書は信じた僕らのことを「キリストとともに葬られた」と言います。(4節)罪を犯す自分はもう死んでいません。…と認め続けなさい、と聖書は言います。(11節)


(11節から13節)

同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、認めなさい。

ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪に支配させて、からだの欲望に従ってはいけません。

また、あなたがたの手足を不義の道具として罪に献げてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者としてあなたがた自身を神に献げ、また、あなたがたの手足を義の道具として神に献げなさい。


実際には罪は今だに僕らを誘惑し、死んだはずなのに罪をさせよう、させよう、と誘ってきます。けれども僕らはイエス様と合体しています。罪の要求には答えず、神様の願いの通りにする選択の自由があります。「罪があなたがたを支配することはない」と聖書は言います。(14節)


②復活したイエス様と合体しました。


イエス様を信じた僕らはイエス様に合体して生きています。僕らの心はイエス様ご自身の心と合わさりました。僕らが生きているのではなく、キリストが生きておられます。(ガラテヤ2.20)


(4節から5節)

それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです


(8節から9節)

私たちがキリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きることにもなる、と私たちは信じています。

私たちは知っています。キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはありません。死はもはやキリストを支配しないのです


(13節)

死者の中から生かされた者としてあなたがた自身を神に献げ、また、あなたがたの手足を義の道具として神に献げなさい。


罪人の僕らは死んでもういません。今僕らはキリストと合体して生きています。神様がそのように宣言しておられます。神様がおっしゃったみことばはその通りになります。毎日そのように変えられ途中です。ますます罪に死に、ますますキリストと共に生きるようになります。感謝しましょう。必ずそうなります!


0 件のコメント:

コメントを投稿