「神がいるならなぜあの災害を起こしたのか」とか「あの悲惨な事件は神の罰か」と僕らは思います。イエス様の時代にも悲惨な事件はあり、イエス様はそのことについて語ってくださいました。
(1)
ちょうどそのとき、人々が何人かやって来て、ピラトがガリラヤ人たちの血を、ガリラヤ人たちが献げるいけにえに混ぜた、とイエスに報告した。
人々はガリラヤ人たちがピラト(ユダヤ人たちを支配しているローマ総督)に殺された、という事件を報告しました。しかも、ガリラヤ人たちが神様にいけにえを献げて礼拝しようとした時に彼らを殺し、彼らの血をいけにえの血に混ぜた、という悲惨な事件です。人々は「神がいるならなぜ…」「これは神の罰か…」などと思ったようです。
(2-3)
イエスは彼らに言われた。「そのガリラヤ人たちは、そのような災難にあったのだから、ほかのすべてのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったと思いますか。そんなことはありません。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。
イエス様の答えは「悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」です。この時殺された人だけが特に罪深いのではなく、全ての人たちに神様の裁きは下り、滅びます。だから、神の裁きに会わないように、イエス様による赦しの福音を信じなさい、という文脈です。
イエス様は当時の事件をもう一つ思い出させます。エルサレムにある塔が倒壊して18人が犠牲になった事故がありました。
この事故も「なぜあの人だけが死ななければならなかったのか…」と思います。イエス様の答えは、この事故の犠牲者だけが特別に罪が大きかったのでなく、人間は早かれ遅かれすべての人が死を迎え、神の裁きと滅びを受けなければならない、とおっしゃいます。
(4-5)
また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも多く、罪の負債があったと思いますか。
そんなことはありません。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」
事故に巻き込まれて亡くなった方も、そうでない方も神様の前では同じ罪人です。上も下もありません。ピラトの怒りで殺された人もそうでない人も神様の前では同じ罪人です。イエス様はそんなすべての罪人のために神の怒りと裁きを身代わりに受けてくださいました。神様はすぐに世界を滅ぼすことができます。だのに、神様はすべての人が救われることを願って滅びを猶予しておられます。
(1テモテ 2:4)
神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。
(ヨハネ3:16)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
イエス様はまるで、実りがないので切り倒されて捨てられようとしている木の前で「もうちょっと待ってやってください」と願っている農夫のようです。
(6-9)
イエスはこのようなたとえを話された。「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。そして、実を探しに来たが、見つからなかった。そこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年間、このいちじくの木に実を探しに来ているが、見つからない。だから、切り倒してしまいなさい。何のために土地まで無駄にしているのか。』
番人は答えた。『ご主人様、どうか、今年もう一年そのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥料をやってみます。
それで来年、実を結べばよいでしょう。それでもだめなら、切り倒してください。』」
イエス様は今日も「今年もう一年そのままにしておいてください。それでもだめなら、切り倒してください。」と神様の前で僕ら人類のためにとりなし、赦しを願っておられる大祭司です。
(ローマ 8:34)
罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。
実りのない木のような僕らです。それでも、滅ぼされないように、福音を聞いて御霊の実を実らせるように、今日もイエス様がとりなしてくださっています。
ニュースで見聞きする悲惨な被害者も、極悪な犯人も、災害にあって苦しむ人も、そして僕らも同じ罪人です。どちらが上ということはありません。悔い改めなければすべての人は滅ぼされるだけです。全ての人は同じです。ただ、イエス様の赦しと憐れみの福音を聞いて、信じたか、信じないか、それだけの違いです。
あの人は罪深いから事故にあったとか、悪いから災害にあった、ということはありません。僕らはもともと、同じように滅びる罪人です。
さばき合うのはやめましょう。比べ合うのもやめましょう。ただ、憐れんでいただき、救っていただいた罪人です。上も下もありません。同じ罪人です。赦された罪人です。イエス様が今日も「赦してやってください」と祈ってくださっています。
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