僕らは祈りが苦手な人間です。そして神様の教えより自分の考えばかり大事にする人間です。そんな僕らなはずなのにお祈りしたり、神様の命令を守ったりできるとすれば、それは神様の力であり神様の助けです。ソロモンは神様に願いました。
(57-58節)
私たちの神、主が、私たちの先祖とともにいてくださったように、私たちとともにいて、私たちを見放さず、私たちをお見捨てになることがありませんように。
私たちの心を主に傾けさせ、私たちが主のすべての道に歩み、私たちの先祖にお命じになった命令と掟と定めを守らせてくださいますように。
祈りは神様との共同作業です。僕らは何て祈ればいいかわかりません。でも、僕らの中に住んでおられる御霊が一緒に祈り、祈りを導いてくださいます。
(ローマ8:26)
御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
だから、僕らは遠慮なく「神様、祈れません、祈りたくありません」と言えます。祈らせてくださるのは神様である御霊です。その時に、御霊が助けてくださり、僕らの心を神様に向けてくださいます。弱い僕らの中に御霊が一緒にいてくださいます。そして、神様の命令に従うことも神様の力と助けです。
(ガラテヤ 5:16)
御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
神様に従うようにさせてくださるのは御霊です。ソロモンは「私たちとともにいて、私たちを見放さず、私たちをお見捨てになることがありませんように。」(57節)そして、「私たちの心を主に傾けさせ、私たちが主のすべての道に歩み(…中略…)命令と掟と定めを守らせてくださいますように。」と願いました。(58節)
僕らの日常のどんな小さなことも、神様に願いつつ、祈りつつ、歩むべきです。全てのことをホウレンソウ(報告、連絡、相談)です。
(61節)
あなたがたは、今日のように、私たちの神、主と心を一つにし、主の掟に歩み、主の命令を守らなければならないのです。」
僕らの人生の全ては神様との共同作業です。祈りも、神様に従うことも、全部が僕らの力でなく、神様との共同作業です。「神様、できません」と言いましょう。神様が必ず助けてくださいます。人生は神様との歩みです。力は神様から来ます!ハレルヤ!
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