忍耐とはやせ我慢ではなく、神様のことばを信じて期待して祈り続けることです。神様がおっしゃったことばは必ず実現するからです。そこに希望があります。ダビデは忍耐の人でした。そしてその忍耐とは、どんな小さなことでも祈って神様のことばに聞いて従う生活でした。
ダビデは何年間もサウル王に命を狙われ続けたために国内に住むことはできず、敵であるペリシテ人の町に住んでいました。サウル王が戦死したことで、ダビデはユダ(出身部族の地域)に戻るべきかどうか神様に質問します。
(1節)
この後、ダビデは主に伺った。「ユダの町のどれか一つへ上って行くべきでしょうか。」主は彼に 「上って行け」と言われた。
ダビデがイスラエルの王様になることは、子どもの時から知らされていました。(1サムエル16章)だのに、実際は何年も逃亡生活が続き、いつ自分の国に戻れるかわからない生活でした。そんなダビデはどんな小さなことでも神様に祈り質問していました。
彼はどの町に住むべきかわかりません。それでまた神様に質問します。
(1-4節)
ダビデは、「どこに上ればよいでしょうか」と聞いた。主は「ヘブロンに」と 言われた。ダビデは、二人の妻、イズレエル人アヒノアムと、カルメル人ナバルの妻であったアビガイルと一緒に、 そこに上って行った。ダビデは、自分とともにいた人々を、その家族ごと連れて上った。彼らはヘプロンの町々に住んだ。ユダの人々がやって来て、そこでダビデに油を注ぎ、ユダの家の王とした。
ついに、ダビデは出身のユダ部族に帰り、王様になります。王様になりましたが、まだこの時点ではユダ部族限定です。神様のご計画は必要な時間を経過して実現します。ダビデは戦死したサウル王を葬ってくれた人々を祝福します。
(5-6節)
ダビデはヤベシュ・ギルアデの人々に使者たちを遣わし、彼らに言った。「あなたがたが主に祝福される ように。あなたがたは、あのような真実を尽くして主君サウルを葬った。 今、主があなたがたに恵みとまことを施してくださるように。あなたがたがそのようなことをしたので、 この私もあなたがたに善をもって報いよう。
ダビデはいつも心が神様に向いていることがわかります。何年も国外で逃亡生活を強いられても王様を愛し、王様のために祈ることを止めずにいました。どんな小さなことも神様に祈り続ける人だったことが明らかです。王様をきちんと葬ってくれた人々を祝福しています。
死んだサウル王の側近であり将軍であったアブネルはサウルの代わりに息子イシュ・ボシェテを王様にします。
ユダではダビデが王となり、それ以外のイスラエルではイシュ・ボシェテが王となりました。
ダビデはやがて全イスラエルの王様となります。それは神様の決定事項です。でも、そうなるためには必要な時間がありました。
(8-11節)
一方、サウルの軍の長であったネルの子アブネルは、サウルの子、イシュ・ボシェテを連れてマハナイムに行き、 (…中略…)すなわち全イスラエルの王とした。 サウルの子イシュ・ボシェテは、四十歳でイスラエルの王となり、二年間、王であった。しかし、ユダの家だけはダビデに従った。ダビデがヘブロンでユダの家の王であった期間は、七年六か月であった。
神様のご計画はインスタントではありません。必要な時間をかけ、人間の祈りと神様のみことばのキャッチボールの中で実現して行きます。
僕らの人生も、将来はキリストに似た栄光を持ち、キリスト一緒に治める者となると書かれています。(ローマ8.29-10、黙示録5.10)でも、今は苦しみがあり忍耐が必要です。神様のご計画は必ず実現します。
忍耐とはやせ我慢ではなく、神様のことばを信じて期待して祈り続けることです。僕らもダビデのように、小さな一つ一つを神様に質問し、神様のみ言葉をいただきながら期待して歩めますように。今日も神様との交わりが僕らの人生でありますように!
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