今日の箇所には人々から喜ばれ喝采される預言をするハナニヤという(ニセ)預言者が登場します。僕も人に喜ばれる話をしたいと思いますが、一番大事なことは人からの評価でなく、人に喜ばれることでもなく、神様に喜ばれ誠実であることです。
エレミヤは「70年間バビロンに捕囚となる」「だからバビロンのくびきを受け入れよ」という預言をしているのに対して
ハナニヤは「二年以内にバビロンのくびきは砕かれる。全ては元どうりになる」という預言をしました。聞いた人々にはどちらが本物かわからないけれど、ハナニヤの話の方が楽しいし喜ばれる話です。
(1-4)
その同じ年、ユダの王ゼデキヤの治世の初め、第四年の第五の月に、ギブオン出身の預言者、アズルの子ハナンヤが、主の宮で、祭司たちと民全体の前で、私に語って言った。
「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは、バビロンの王のくびきを砕く。
二年のうちに、わたしは、バビロンの王ネブカドネツァルがこの場所から奪い取ってバビロンに運んだ主の宮のすべての器をこの場所に戻す。バビロンに行ったユダの王、エホヤキムの子エコンヤと、ユダのすべての捕囚の民も、わたしはこの場所に帰らせる──主のことば──。わたしがバビロンの王のくびきを砕くからだ。」
ハナニヤの話は力強かったと思います。エレミヤは神様から自分の首にかせと縄をつけてるように言われ、かせをつけていました。(27.2)ハナニヤはそのエレミヤのかせを取り、砕いて「バビロンのかせは砕かれる!」と預言します。パフォーマンスとしてもインパクトがあるし、人々が盛り上がる話です。
(10-11)
しかし預言者ハナンヤは、預言者エレミヤの首から例のかせを取り、それを砕いた。
そしてハナンヤは、民全体の前でこう言った。「主はこう言われる。このとおり、わたしは二年のうちに、バビロンの王ネブカドネツァルのくびきを、すべての国々の首から砕く。」
人々の前での直接対決ですが、エレミヤは落ち着いています。「アーメン。その通りに主がしてくださるように」と語ります。本当にエレミヤも2年以内にそうなればいいと思っていますが、神様のみことばは違います。エレミヤは神様の言葉に忠実です。そして、どちらが本物かは、それが実現した時にわかります。
(6-9)
預言者エレミヤは言った。「アーメン。そのとおりに主がしてくださるように。あなたが預言したことばを主が成就させ、主の宮の器と、すべての捕囚の民をバビロンからこの場所に戻してくださるように。しかし、私があなたの耳と、すべての民の耳に語ろうとするこのことばを聞きなさい。(…中略…)平安を預言する預言者については、その預言者のことばが成就して初めて、本当に主が遣わされた預言者だ、と知られるのだ。」
この直後、エレミヤはニセ預言者ハナンヤへの裁きの預言を預かり、その通りに語ります。そして神様のことばはその通りにハナンヤは死にます。
(15-17)
そこで預言者エレミヤは、預言者ハナンヤに言った。「ハナンヤ、聞きなさい。主はあなたを遣わされていない。あなたはこの民を偽りに拠り頼ませた。それゆえ、主はこう言われる。見よ、わたしはあなたを地の面から追い出す。今年、あなたは死ぬ。主への反逆をそそのかしたからだ。」預言者ハナンヤは、その年の第七の月に死んだ。
ハナンヤがニセ預言をしたのが5月、死んだのが7月です。神様がエレミヤを通して「今年、あなたは死ぬ。」とおっしゃった通りになりました。(16-17)預言者が本物かどうかは、それが実現して初めてわかります。(9)聖書は人に取り入ろうとすることの間違いを言います。
(ガラテヤ1.10)
いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に、でしょう。あるいはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません。
僕らも問われています。人々に喜ばれようとしているだけなのか、それとも神様に喜ばれようとしているのか、と。人ではなく神様に喜ばれ、かつ隣人への愛を持って福音を伝えるものでありますように!
(1テサ2:4-5)
私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿