イスラエル人たちは神様に愛されて神様の宝、子どもたち、愛する妻、と呼ばれます。だのに反抗し、裏切り、神様を悲しませ傷つける生活をしまくり怒りを招くようなことをし続けます。何百年もです。その結果どん底を経験します。神様は「あなたがは全てを失い、国を失い、敵に捕まって捕虜になって連れていかれる。と警告していましたが、本当に彼らは敵に捕まって、全てを失います。それでも、あなた方は回復する、自業自得なんだけど、それでもあなた方はもう一度この苦しみを通って回復すると希望のメッセージを言われました。
●敵の国の中で敵のために祈り、生活しなさい。
気に入らないかもしれないけど、そこで敵のために、このバビロンという国のために祈りなさい、と言われます。敵かもしれないけど、それでもバビロンの平和を祈りなさい、そして、この国で、家庭を作り、仕事をし、畑を作って生活しなさい、と言います。
(4-7)
「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。『エルサレムからバビロンへわたしが引いて行かせたすべての捕囚の民に。家を建てて住み、果樹園を造って、その実を食べよ。妻を迎えて、息子、娘を生み、あなたがたの息子には妻を迎え、娘を嫁がせて、息子、娘を産ませ、そこで増えよ。減ってはならない。わたしがあなたがたを引いて行かせた、その町の平安を求め、その町のために主に祈れ。その町の平安によって、あなたがたは平安を得ることになるのだから。』
●平安と希望のための計画は苦しみの中でも進行中。
神様はこの敵国バビロンの中で精一杯生きたら、70年経ったらもう一度あのエルサレムに戻し、全てを回復するとおっしゃいます。
(10-11)
まことに、主はこう言われる。『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。
わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
イスラエル人たちが酷い目にあってのは何度も神様を裏切り、罪をやりまくったからです。自分が蒔いた種なんだけど、それでもほら見たことか、とか、ざまあみろ、と言う神様ではないです。これもまた平安と希望のためのご計画の一部だから、ここでしっかりと神様を愛し、家族を愛し、隣人を愛し、敵を愛して生活しなさい、しっかり生活しなさい、と言われます。この後、イスラエル人たちは偶像礼拝をやめて行きます。
●適用
僕らの人生にはトラブルや悲しみ苦しみがつきものです。聖書は全ての人に罪があるし、欠点があると言っています。その結果としての災いや苦しみは尽きることがありません。でも、これは苦しみの向こうにある将来と希望を与えるためのものだ、と言います。
(11)
わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
人間から見たら、災いだ、と思うことがあっても、苦しくても、僕らは必ず素晴らしい人に変えられます。地上の人生が苦しみが多かったとしても、天の国では最高の身分になります。これが聖書が伝えているメッセージです。
(ローマ 8:18)
今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。
人類はみんな神様を裏切って裏切って、その結果地球全体が苦しみ、滅びに向かっています。元々は、悲しみも叫びも苦しみもない素晴らしい世界でした。だのに、人間が神様を裏切り、世界が壊れていくのは事実です。世界が壊れるだけでなく、人間同士の愛も冷えていくと聖書は言います。いじめがあって、貧富の格差が激しくなって、異常気象があり、戦争があり食糧危機があります。もとはと言えば、人間が神様を裏切ったことが原因です。(創世記3章)それでも、この苦しい世界で精一杯仕事をして、家族を愛して、そして住んでいる人たち、その国を愛して祈って行きなさい、と言います。必ず神様は回復させてくださいます。
お手本のように、神が愛するイスラエル人たちは敵に捕まって苦しみます。それでも敵の国の中で祈り平安を求めて生活しなさい、と言われ、70年後に本当に彼らは回復します。同じように、イエスキリストを信じる人たちの苦しみは災いではなく、平安のためのご計画です。罪ゆえのどん底は平安と将来のための通過点です。だから納得できない状況の中でも、仕返しせず、相手に祝福を与え、祈りなさい、と言います。
(1ペテロ 3:9)
悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。
僕らの苦しみはわざわいでなく、平安のため、祝福のため、希望のため、将来のための苦しみです。そして祈るための苦しみです。
必ず脱出できます。希望があります。将来があります。神様は「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。」(イザヤ43.18-19)とおっしゃいます。
0 件のコメント:
コメントを投稿