教会は2000年くらい「国と力と栄えは、とこしえにあなた(神様)のものです。」と信じてそう言って来ました。(マタイ6.13)どの国も神様のものです。どんな権威も神様によらない力はありません。聖書は「神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。」と言います。(ローマ13.1)神様はバビロンを繁栄させ、周辺諸国を全てバビロンに従せました。そのようにされたのは神様です。
(4-7)
『イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。あなたがたは主君にこう言え。わたしは、大いなる力と伸ばした腕をもって、地と、地の面にいる人と獣を造った。わたしは、わたしの目にかなった者に、この地を与える。今わたしは、これらすべての地域をわたしのしもべ、バビロンの王ネブカドネツァルの手に与え、野の生き物も彼に与えて彼に仕えさせる。彼の地に時が来るまで、すべての国は、彼とその子と、その子の子に仕える。
神様がバビロンに支配権を与えたのだから、あなたがたはバビロンに服従しなさい、と神様は言われます。この時代、バビロンに従うことは嫌なこと、苦しいこと、プライドが傷つくことでした。それでも神様は「あなたがたはバビロンの王のくびきに首を差し出し、彼とその民に仕えて生きよ。」とおっしゃいます。神様はこのメッセージが分かりやすいように、エレミヤの首にかせと縄を付けてメッセージをさせます。このように従いなさい、という意味です。
(2)
主は私にこう言われた。「あなたは縄とかせを作り、それをあなたの首に付けよ。
(11-12)
しかし、バビロンの王のくびきに首を差し出して彼に仕える国を、わたしはその土地にとどまらせる──主のことば──。こうして、人々はその土地を耕し、そこに住む。』」
ユダの王ゼデキヤにも、私はこのことばのとおりに言った。「あなたがたはバビロンの王のくびきに首を差し出し、彼とその民に仕えて生きよ。
神様はバビロンに支配権を与えますが、それは一時的なことです。「しかしその後で、多くの民や大王たちが彼を自分たちの奴隷にする。」と書かれています。バビロンの王は後に滅ぼされ奴隷にされます。
僕らの人生にいろんなことが起こりますが、全ての出来事の支配者は神様です。僕らはどこに住んでも、どんなことが起こっても神様の権威の下にいます。苦しみが与えられても神様の権威とご支配の中です。
全ては神様の許可の範囲で与えられています。「なんでこんなことが…」と思うこともあります。それでも聖書はその苦しみにも身を委ねるように教えています。それは神様に見放されているのではありません。
(哀歌 3:27-31)
人が、若い時に、くびきを負うのは良い。それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。口をちりにつけよ。
もしや希望があるかもしれない。自分を打つ者に頬を与え、十分そしりを受けよ。主は、いつまでも見放してはおられない。
神様は僕らが一定期間苦しみに会うことも計画されています。彼らはバビロンに降伏して従うことでますます彼らの信仰は練られ純化されて行きました。苦しみによって純化され強められていくことは僕らも同じです。
(1ペテロ1:6-7)
そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、
信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。
僕らに与えられる苦しみは全て尊いものです。ムダな苦しみは一つもありません。それによって訓練された人には平安があります。(ヘブル12.11)どんなことも受け入れましょう。神様は僕らを成長させ賞賛と報いと祝福を与えようとしておられます!ハレルヤ!
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