2023年1月4日水曜日

エレミヤ26章

 僕らは傷つきたくないし、傷つけたくもありません。当たり障りのない話題だけでやり過ごしたいと思います。でも、神様は違います。神様が人々の罪を指摘するのは、そのままだと裁きと災いに会うからです。神様はエレミヤに「あなたに語れと命じたことばを残らず語れ。一言も省くな。とおっしゃいます。人々が聞きたくない内容であっても、神様は救いのために罪を指摘してくださいます。


(2-3)

主はこう言われた。「主の宮の庭に立ち、主の宮に礼拝しに来るユダのすべての町の者に、わたしがあなたに語れと命じたことばを残らず語れ。一言も省くな。彼らがそれを聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。そうすればわたしは、彼らの悪い行いのために彼らに下そうと考えていたわざわいを思い直す。


エレミヤは裁きのメッセージを全部人々に伝えました。


(4-6)

彼らに言え。『主はこう言われる。もし、あなたがたがわたしに聞き従わず、あなたがたの前に置いたわたしの律法に歩まず、

あなたがたに早くからたびたび遣わしてきた、わたしのしもべである預言者たちのことばに聞き従わないなら──実際、あなたがたは聞き従わなかった──わたしはこの宮をシロのようにし、この都を地上のすべての国々の、ののしりの的とする。』」


ところが、罪の指摘や裁きのメッセージは人から嫌われ拒否されます。エレミヤは即座に逮捕され、人々はエレミヤが死刑になることを求めます。


(8-11)

主が民全体に語れと命じたことをみな、エレミヤが語り終えたとき、祭司と預言者とすべての民は彼を捕らえて言った。「あなたは必ず死ななければならない。(…中略…)祭司たちと預言者たちは、首長たちと民全体に次のように言った。「この者は死刑に当たる。彼がこの都に対して、あなたがたが自分の耳で聞いたとおりの預言をしたからだ。」


エレミヤは弱くて「ああ、神、主よ、ご覧ください。私はまだ若くて、どう語ってよいか分かりません。」というような若者でした。(1.6)そんな彼でしたが、神様がエレミヤに語るべきことばを与えてくださいました。(1.9)また、彼は他人を恐る人でもありました。それでも、神様が彼を励まし、「彼らの顔を恐れるな。わたしがあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。」とおっしゃいます。(1.8)エレミヤは逮捕されても、殺されかかっても恐れずに神様のことばをそのまま語り続けます。そして、殺されることも恐れず「私自身はあなたがたの手の中にあります。」と自分の身をゆだねます。(14)


(13-14)

さあ今、あなたがたの生き方と行いを改め、あなたがたの神、主の御声に聞き従いなさい。そうすれば、主も、あなたがたに語ったわざわいを思い直されます。このとおり、私自身はあなたがたの手の中にあります。私を、あなたがたの目に良いと思うよう、気に入るようにしなさい。


エレミヤは自分の命も神様に預けて語っています。どうなっても神様のみ手の中です。そして、神様が正しく判断し復讐してくださることを確信しています。


(15)

ただ、もしあなたがたが私を殺すなら、あなたがた自身が咎なき者の血の責任を、自分たちと、この都と、その住民に及ぼすのだということを、はっきり知っておきなさい。なぜなら、本当に主が私をあなたがたのもとに送り、これらすべてのことばをあなたがたの耳に語らせたのですから。」


僕らも人と話す時に、自己保身のための会話をしているのか、それとも相手が神様に赦され祝福されるための会話をしているのかが問われます。エレミヤは自分が殺されてもいいから神様のみことばをそのまま語りました。結神様がエレミヤを守り、彼は殺されず、人々は自分の罪を認めるようになりました。


(16)

すると、首長たちと民全体は、祭司たちと預言者たちに言った。「この人は死刑に当たらない。彼は私たちの神、主の名によって、私たちに語ったのだから。」


(19)

ところが、私たちはわが身に大きなわざわいを招こうとしている。


僕らのことばが自己保身なら人を救うことができません。自分さえも失ってしまいます。でも、イエス様のために自分のいのちを捨てる人は救い出されます。


(マルコ8:34-35)

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです


日本はイエス様のみことばを語ったために迫害され殺された人が多い国です。これからも迫害はカタチを変えてあり続けます。それでも僕らは人を恐れず神様のことばを伝える役目があります。もし、逮捕されても大丈夫、と聖書は言います。語ることばを与えてくださるのは神様ご自身です


ルカ21:12-15)

人々はあなたがたを捕えて迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出すでしょう。

それはあなたがたのあかしをする機会となります。それで、どう弁明するかは、あらかじめ考えないことに、心を定めておきなさい。どんな反対者も、反論もできず、反証もできないようなことばと知恵を、わたしがあなたがたに与えます。


イエス様のことばを伝えて迫害されるなら「喜びなさい!」とイエス様はおっしゃいます。僕らが思う以上に報いは大きいです


(マタイ 5:11-12)

わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです

喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。


僕らの口がいつも神様の愛と真理を語りますように。人を恐れず、本当に必要な罪からの救いを僕らがいつも語りますように!

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